今日は娘ポッペの10年来のお友達Mちゃんとお母さんにお会いする日です。
ポッペが高校生のころからとてもお世話になっていて、ウチの事情もよくご存知です。
ただ私自身は個人的にお話したことはありませんでした。
Mちゃんママは某オーケストラに所属するプロの演奏家です。
合間に学校の音楽コンクールの審査員をしたり、演奏で海外に行かれることもあります。
ご自宅には音大受験のために遠方から生徒さんが下宿されることも。
ポッペが高校生のころ、Mちゃんママの〝活躍ぶり〟を折々に耳にした私は、常にこれらすべてのことを同時進行でこなしているスーパーウーマンと思っていました。
わかりますか?
そうです、その姿はあまりにも眩しく私とは違いすぎるのです。
子ども同士は仲が良くても、母親として共通点が無さ過ぎて近寄りがたいというか。
壁を感じずに交流できるメンタルはありませんでした。
その頃と言えば10年ほど前。
私は〝幸せな家庭〟を手に入れようと必死になっていました。
子ども達は思春期に入り、学校の環境は複雑になっていきます。
配偶者は役職が上がり忙しく、家庭のことは私の役割になっていました。
パートで働くと言ってもお小遣い程度で、家計は配偶者に依存しています。
毎日は何かに追われるように慌ただしく過ぎていくけれど、終わりのないトンネルの中のようでした。
自己肯定感など持てるわけもなく、「いつか、いつか」と夢を見ていました。
ポッペが就職し、息子のボーが志望校に入学できたころ一時的に達成感を味わいました。
でもその直後、配偶者が突然退職することになり状況が一変します。
そして当初の目標よりも半年ほど早く、2022年10月に別居を果たしたのです。
別居しただけ。
私自身が変わったのは、これだけです。
それ以外には仕事も同じなので、収入も待遇も何も変わってはいません。
社会的な位置づけは何一つ変わっていない、それなのに。
私の心もちは前とは比べようもなく軽く前向きでポジティブです。
私が自分自身を肯定できた要因の一つは、今の住まいがあります。
賃貸マンションですが、この歳で私の借りられる場所が今までの住まいよりグレードアップできたことは良い意味で予想外で、自己肯定感を上げてくれました。
今まで配偶者と生活していた時に感じた〝みじめ〟な思いとキレイさっぱり決別できたことも、とても大きな喜びです。
もう一つの要因は、この結婚を含めて今までの自分の人生に悔いが無いということです。
もちろん、できることならやり直したいような時期も、取り消したい経験も、思い出したくない失敗も数えきれないほどあります。
でも、そのときの自分はそれが精いっぱいだった、ただあまりに未熟だったということを今の自分ならわかってあげられます。
そしてその頃の私自身を、今なら愛おしいと思ってあげられるのです。
Mちゃんママと私との客観的な違いは、以前と何一つ変わってはいません。
ただ私自身の心もちが変わっただけです。
このタイミングでポッペから母娘4人で食事しようと提案されたとき、何の迷いもなく賛成してこの日を楽しみに待つことが出来ました。
MちゃんとMちゃんママとの時間は、他愛のない会話が心地よくあっという間に過ぎていきました。
等身大の自分を受け入れて、ありのままで自然にいること。
それがこんなにも楽にできるようになっていたことに、少し驚きとても満たされました。
これから私の人生は、きっと良い方向に向かっていく。
そんな希望を胸いっぱいに感じられる日になりました。
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