相手方が選ぶ結論と私の責任。

卒婚

早いもので、11月になりました。

先月4日に別居に踏み切ってから、丸4週間。

相手方からの反応は一度、私宛の手紙がH弁護士に郵送されました。

その手紙はH弁護士に開封してもらい、PDFで送ってもらって手に取らずに済みました。

心に刺さった、目に見えないトゲの毒。
相手方からH弁護士に託された、私宛の手紙。 縦書きの便せん2枚半に、細かく癖のある字でビッシリ書かれています。PDFで見てもどこか生々しく、私のこころは大きく動揺しました。感情はミリも動かないのに‥

その後H弁護士とは、調停の手続きに必要な書類について連絡をとりあったままになっていました。

最小限の荷物から始まった新生活も、少しずつ部屋らしくなってきたようです。

スタートの慌ただしさが落ち着いて、だんだん平穏な日常に移行しています。

それにつれて、そろそろ‥

何も連絡こないな‥相手方の様子が分からないのが気になる。

今ごろは冷静になって弁護士つけたり、戦闘モードに入ったかも。

私の別居について、仲の良い同世代の同僚には話をしていました。

同僚
同僚

何も言ってこないのはコワイね。

中にはサ、鬱状態になることもあるっていうじゃない。

コロナの影響もあるのでしょうか。

いま熟年離婚は激増しているそうですね。

そして、男性の方がダメージが大きいと聞きますね。

定年退職したら、夫婦2人でのんびり旅行や趣味を楽しもうと思っていたのに、まさかの三行半。

会社の人間関係も途絶え、一気に孤独に陥ってしまうとか。

とくに仕事人間だった場合には顕著で、現実を受け入れられず鬱になることもあるそうです。

〝別居〟や〝離婚〟をいきなり突きつけられ、追い詰められた。(気づかなかったのか?)

何十年も家族のために働いてきたのに全く理解されていなかった。(配偶者も同じでは?)

今までの生活は何だったのか。(その原因は自分にはないと?)

別居の準備を進めている間、私も子ども達も、事情を知る知人までもが信じられなかったのは‥

『相手方にとって、別居は寝耳に水だった』

昨年からほとんどすれ違いで会話もなく、この数ヶ月は夕食も別々の部屋で食べていながら。

相手方は「無関心を装い、多少のすき間風はあると高をくくって」危機感には繋がらなかったのです。

そしてやってきたXデイ。

この先にはどんなことが起こり得るでしょう。 

『相手方は別居後どうするか』

これを機会に、相手方も自由に生きていくことができれば返って幸せでしょう。

気持ちを切り替えられなければ、不幸な境遇を嘆き私を恨み、ついには攻撃することで解決しようとするかもしれません。

今までの人生の意味がわからなくなり、自身の存在意義を見出せず最悪の結末を選択してしまう可能性もないわけではありません。

どれも考えられますし、他にも起こり得ることは沢山あるでしょう。

  

想定できる状況に対処していただけるよう弁護士の先生に前もって相談しています。

それでも相手方のこころの中まではわかりません。

たとえわからなくても、長い時間かけて何度も考えた私の答えは出ています。

『相手方の選んだすべての結論に対して、私が責任を感じる必要はない』

ということです。  

いわゆるハラスメントのような場合は別として。

人は他者から多くの刺激や影響を受けて生きていますね。

自分自身も他者に対して、良くも悪くも影響を与えてしまうことがあります。

その関係の濃淡や、関わった時間の長さとは関係なく。

それが自分にとって意図していない場合であっても。 

意図する、しないに拘らずそれは避けて通れないことですよね。

  

反対に、極端な力関係のない一般的な関係でどんなに影響力があってもできないこと。

それは、誰かに何かを選択させること、決定させることです。

考え方や判断に影響を与えたとしても、それを実行に移すことは本人にしか決められない。

本人が決められず他人に決めてもらったのであれば、「他人に決めてもらう」と結論を出したのです。

  

どういう人生にするのか。

これから自分はどう生きていくのか。

それを考え決定し行動する。

本人以外の人間がかかわれるのは「それを考え」ている時に影響を与えることくらいです。

決めるのも実行するのも本人にしかできない領域。

そこに第3者が責任を感じる必要はないのです。

私自身も自分の将来に責任を持とうと思った11月の始めでした。

  

  

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