卒婚します。《タイムリミット:2023年4月》

卒婚

2008年から東京で古い賃貸マンションに暮らしています。

今、配偶者と私は共に契約社員で、フルタイム週5日働いていています。

引越し当時は中学生と小学生だった子供たちもすっかり大人になりました。

私が大切に守ってきた家族は形を変えようとしています。

★ 2019年★

配偶者は30余年働いた元の会社で役員を経験し、系列会社に出て社長として3年目でした。

大きなプロジェクトを終えた後、突然辞めることになります。

私はそのころ2年間ほど専業主婦でした。

「会社を辞めることになった」と聞いた時、配偶者にとってそれが不本意なものであることが分かりました。

私は傷つけられたであろうプライドを癒し勇気づけました。

そして我が家が直面している危機に私がするべきことは一つしかありません。

その日の夜、人材派遣会社の求人に応募し、翌日面談に臨み採用され働くことになります。

息子はまだ大学生。即断即決でした。

サラリーマン人生を捧げた会社に裏切られたような形になったことは、本人にしかわからない思いがあったことでしょう。

半年ほどは何もせず疲れを癒すように過ごしていました。

ただゴミの日には、ゴミ集めからゴミ出しまでやるようになりました。

私は勤務日も休日もその他の家事を全てやっていましたが、配偶者には心身ともに癒す時間が必要だと思いそっとしておきました。

その間私はひたすらポジティブに考え行動してきました。

力を合わせて乗り越えようと戦っていたつもりでした。

リタイア後1年すぎたころ次の働き口をきめ働き始めました。 

★ 2020年★

娘(ポッペ)は転職を機に働き方が変わり、リモートが多くなって家にいる時間が増えました。

息子(ボー)はバイトでも中堅になり、責任感が増しました。

ポッペもボーもそれぞれに家事を手伝ってくれるようになり、だんだん役割として担ってくれるようになっていました。

そして子供たちには大きな壁だった父親が急激に劣化していきます。

私自身の意識も変わっていきます。

結婚以来、配偶者の通勤の行き帰りは最寄り駅まで私が車で送迎していましたが、リタイアを機に車を手放しました。

今は駅まで20分歩いています。

労働時間も年収もほぼ対等です。

私は思い切って決然と宣言しました。「私は休日と言っても自分の時間はほとんど無い。これからは夕食は作るが朝昼は各自でやってほしい」

配偶者にとっては驚きと不満だったでしょう。

結婚以来25年間家事はやらないのが当たり前だったのだから。

しかも最近はゴミ出しとゴミ集めまでしてやっているのだから。

子供たちが生まれる前からリタイアするまで仕事優先。

子供のことは相談しない限り気に掛けないし、相談すれば「要点を言ってくれ。で、俺はなにをすればいいんだ。」

休日は接待ゴルフ、それが無ければ家でずっと寝ているか、起きている間はずっとTV。

数少ない家族旅行などは家族の希望や意見は聞こうともしないで「連れて行ってやる」

買い物で出かけるときは「ついて行ってやる」

でももう今は「養ってやっている」という立場ではなくなったのです。

★2021年★ 

ある日、何の話からか配偶者が私に「ずっとここ(東京)にいるつもりか」と聞いてきました。

結婚当初と転勤を挟んだのべ7年間、地方にある配偶者の実家で義父と同居しました。

義父は今介護を受けながら一人で暮らしています。

私の母親も介護を受けしばらく一人住まいでした。

再び同居する気はありませんし、今私には仕事もあります。

「何をきっかけにどこへいくの」と聞きました。

「なら、別居だな」と軽く言うので私は「そうだね」と即答しました。

その答えは想定外だったようです。

短い沈黙があり私が「でも、すぐってわけじゃないんでしょう」と、もう別居は決まったかのように言うと配偶者は「うん」と答えました。

これ以後、わたしの何かが変わりました。

配偶者には女性問題やDVではないけれど裏切りと感じることが数回あり、その都度話し合い飲み込んできました。

なぜ飲み込んだか‥私にはポッペとボーを養える収入はなかったからです。

東京に来て数年たったころ、配偶者が家庭に協力的でないと文句を言ったことがあります。

「うるさいことを言うならもう帰ってこんぞ」と言われて、その時は何も言えませんでした。

  

今まで家庭を維持することが私にとって一番重要でした。

それが大切な大切なポッペとボーを守るために欠かせないものと信じてここまできました。

私が家族にしてきたことは私のできる限りの献身だと自分でも思います。

でもそれは私が望んでしたことです。

子ども達も含めて受け取る側の評価はまた別だということも分かっています。

配偶者にも色々な思いがあるでしょう。

少なくともリタイアを告げられてから一緒に戦っていると思っていたのは私一人でした。

  

簡単に別居を口に出したことは決定的でした。

私の心に繋がっていた糸はプツンと音を立てて切れ、急速に離れていきました。

 

  

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