新居が決まり少しずつ独立の準備をしているポッペ。
夜、目を潤ませて「ポヨに聞きたいことがある‥」と。
‥うまくいえるかな‥
ポヨが結婚してから今まで、犠牲にしてきたことってある?
後悔とか、こんなはずではなかったと思うような事‥
子どもの頃からポッペにはそういうところがありました。
とても大胆でハッキリと主張できる反面、手折られた花のように繊細でガラスのように壊れやすい‥
何かを感じ考えて、本人なりの気持ちや結論を確かめるように、私の答えをまっています。
ある時は思い詰めたように‥又は勇気を出して決心したように‥
そういう時は私も絶対に、差し出された問いに向き合ってきました。
私も自分のこころの奥を見定めようと気持ちを落ち着けます。
頭の中にあった自分の意識が、胸の中へ深く深く潜って、手探りで進んで行くように‥
今回は即座に、答えは2つあると感じました。2つの時間軸。
それは母としての約27年間と妻としてのそれ。
この2つが並行し時に絡み合って、私の理想の家庭像を追い求めていました。
ただ、それは昨年の始めまでのこと‥
私が母であり妻であることが迷いなく幸せなはずだと信じていたころのことです。
母としての年月‥
わたしにとって、それが幸せでないわけがありません。
子育て中のさまざまな瞬間は、多くのよろこびと、迷い、葛藤や苦しみといえる時もありますね。
子の成長とともにそれらは複雑になって…
一歩間違えば、取り返しがつかなくなるほどに張り詰めた日々も。
もっとこうしてあげればよかったな~って思うことはいっぱいあるよ‥
でも後悔はないかな。「もっとできたはず」とは思わないから。
私の子育てが子ども達にとってしあわせだったかは正直わかりません。
もっともっと楽しく子どもらしい時間を過ごさせてあげたかった、と今なら思います。
子ども達にもずっと抱えてきた複雑な思いがあることでしょう。
ただただ、母の一方的な感想をいうならば‥ということです。
母としてのポヨがそう思うことは知ってる‥前にも話したことあるから‥
‥この結婚生活で、ポヨの大切な何かを犠牲にしてきたことある?
妻としての年月‥
紹介で知り合った、遅い結婚。
いびつな家庭環境の者同士、同じ理想をもってスタートしたと思っていました。
でも今ならその頃の私に言えます。
「そこに愛はあるんか⁈」(笑)
もちろん当時の私はこの出会いを運命と感じ、愛を育んでいけると思っていました。
でも配偶者にとって必要だったのは自分を理解し受け入れる居心地の良い家庭。
自分がくつろげる環境がそこにあればそれで満足、子どもに目を向けることはほぼありませんでした。
その一方で幼い子どもから自分に対して敬語で挨拶させることにこだわったり。
考え方、行動、物事への目線、お金の扱い‥
言い方を選ばずいうと‥すべてがセコイのです。
外面の良さとは裏腹に私たち家族にお金を遣うことを避けたがりました。
自分だけ贅沢するというのでもありません。
たまの外出でも連れていかれるのは、単身者向けの飲食店やビジネス用の宿泊先。
店員さんやフロント係の方、他のお客さんから向けられる「家族連れなのにここ?」といういぶかしげな目線。
外食先、旅行先、特別な買い物‥その時々で私や子ども達が感じてきた共通の違和感‥
それは〈惨めさ〉でした。
この家庭にまだ希望を持っていたときは見ようとしなかった現実‥
まだ〇〇だから‥いつか‥いつか‥いつか‥
そう言い聞かせて自分をごまかしていたのです。
ポッペに「犠牲にしてきたこと」と訊かれて、その〈惨めさ〉で失ったものを考えました。
私がこの結婚生活で犠牲にしてきたもの、それは〈プライド〉でした。
それが聞きたかった‥
ポヨにだってあるはずだと思ったよ
長い長い間、娘は父親の眼差しと慈しみを息子は道しるべを求めて、期待とはかけ離れた反応からこぼれ落ちたかもしれない何かしらのシグナルを探していました。
でもどれだけ探しても何もみつからないまま虚しさと絶望の時期を経て、それもとうに終わったのです。
まるで落穂ひろいみたいだった‥
そして子ども達は成長し、自分の目で現実を見きわめました。
近い将来この家族は散ります。
私の母としての道のりも終わりです。
その渦中にあるときにはこの結末は想像もできなかったけれど‥
ポッペとボーと私のだれが欠けても、ここまでたどり着かなかった‥
3人でそう断言できる関係を築けたことは、感謝しかありません。
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