【母が特養に入るまで】(8) 病院が遠い~もう一つのトラブルと専門医

遠距離介護

お隣とのトラブルを知って以来、一見なんとかうまくやれているように見えていた母の毎日が全く違うものに見えてきました。

反対隣の方とは波風は立っていなかったのですが、帰京する際 私の連絡先をお渡しし何かあればご連絡いただくようお願いしました。

帰京するとすぐ包括支援センターの窓口へ連絡しお隣との出来事を相談しました。

が、日々の生活に支援の必要はなくトラブルの解決策も講じてあれば、ご近所の方と娘である私ができるだけよい関係を保つようにしましょうということでした。

考えてみればこの段階で支援は必要ありません。

まず離れている私にできることからやろうと思いました。

電話で様子を尋ねる頻度が一か月に一度ほどから毎週になり、そのたびに

「毎朝落ち葉はき大変だね。すぐゴミ袋いっぱいになるでしょう?ゴミの日に出すのも一苦労だね」

と念押ししていました。

母からの返事は今まで通り「そんなことしか やることないしね」ですが

毎週おなじセリフを聞かされている母が ハンを押したようにおなじ返事をする のが、違和感を通り越して危機感になりました。

そしてトラブルはお隣だけではありませんでした。

実家には母屋の隣に使わなくなった小屋があります。

その小屋を数年前からある方に倉庫がわりに使って頂いていました。

その方は私と同世代の几帳面で控えめな方で、母と顔を合わせれば朝晩挨拶を交わしたりお土産をいただいたりしていました。

「一人暮らしだから男性の出入りがあるのは心強い」と最初は母もとてもよろこんでいました。

母屋のリフォームもお世話になるほど信頼していたのに、いつの頃からか不満をいうようになりました。

そしてある日その方から賃貸契約を解消されてしまいました。

その方はお母様が認知症で、母の言動がお母様の初期の頃によく似ていると教えて下さり、私にお母様の主治医を紹介してくださいましした。

ずいぶん不愉快な思いをされたはずです。

申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、必ずご紹介いただいた専門医の先生に診て頂こうと思いました。

しかし母は普段から薬ひとつ飲まない上に風邪もひかないほど体が丈夫です。

以前、母の物忘れが気になり出した頃、早期発見早期治療と思い手を変え品を変え病院へ連れて行こうと試みた時期がありました。

不安がっていた老人性白内障や血圧の検査にということでも頑なに拒否され、なす術なしと諦めたのでした。

今度こそリベンジと電話してみると、母自身も不安を感じていたからなのか、

血圧が高いのは怖いよ。私も一緒に行くから

ちゃんと検査してもらおう。休暇取るよ。

そうだね

すぐに教えていただいた専門医に予約を取り私自身も休暇を取りました。

当日はいつも通り最寄駅始発で片道5時間かけて実家に着き、11時30分予約の総合病院までタクシーで向かいました。

時間より早く受付を済ませ、広めの廊下のような待合室で母と順番を待っていました。

すると母が突然帰ると言い出しました。

『認知症外来』というプレートに気づいてしまったのです。

冗談じゃない。血圧検査じゃないの?

高齢者は認知症の心配がないことを確認してから検査をするそうだよ

せっかく来られたのだから血圧だけでも測りましょう。

今日はやめておくわ。

ヘソを曲げられて今後二度と来なくなってしまうと困るので、「そのために来たのに!」と言いたいのを抑えてタクシーをよびました。

日常生活に助けは必要ないけれど、数年前とは様々な事が少しずつ変わっています。

でもその違いが僅かな時は返って身動きが取れないというジレンマでした。

  

 

↓ブログ村に登録しました。 よろしければクリックお願いします!

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へ にほんブログ村 介護ブログ 遠距離介護へ

にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました