車を持たないということ~私の場合:“修行僧”からの脱却

卒婚

3年前、配偶者が突然退職しました。

いきなり収入が断たれ、私が働き始めました。

フルタイム、週5日働いても、収入は以前の1/5程度です。

娘のポッペは就職していましたが、息子のボーは大学生。

貯蓄を取り崩す生活、毎月の駐車場代も減らしたい…

車検と保険料も痛手です。保険の更新を前に、車を手放すことにしました。

毎日当たり前のように車を使っていたけれど、優先順位が変わってしまったのです。

  

もともと朝晩の配偶者の送り迎えと、子供たちの塾の送り迎え、買い物に使っていました。

この配偶者の送り迎えについては、朝は5時台、帰りは深夜も多く、大抵の方が驚きや時には嫌悪感をにじませます。

これには私の生い立ちや、かつての自分の思考回路が多分に影響していたのだと思います。

私と配偶者の関係にも現れているのかもしれません。

ポッペが高校生の時からのお友達の間では「ポヨは修行僧」と言われていたそうです。

送り迎えだけにとどまらず、子供から見た両親のありようが、お友達のそれと比較してあまりにも違うためネタになっていたのかな(笑)

私の生い立ちは楽しくないので記しませんが(笑)私を育てたC子さんについてご興味があれば…

【母が特養に入るまで】番外編①:C子さん/その生い立ち
【一人暮らしの母親と 東京で家族と暮らす 一人娘のドキュメント】ブログを書き始めて約1カ月。ふと“母”を“C子さん”としてみたら私の中でしっくりと落ち着くことに気がつきました。57歳の私よりずっと若かったころのC子さんのことを少し話してみようと思います。

私は18歳で運転免許をとってから結婚するまで、土日は両親の移動によく車を出しました。

もちろん友人と出かけたり、旅行に行ったり、自分自身の楽しみのためにも。

それでも約30年間、人のために先回りして気を配る必要がある毎日。

私の性格もあるのでしょうが、考え方、行動パターン、人格形成…影響はあったでしょう。

そして結婚してから25年間、私には「やらなくちゃ」と思ってこなしていく毎日が、子供の目には「修行」と映ってしまったのでしょう。

その象徴的な事柄が、朝晩の送り迎えになるのです。

車を手放すという事は単に「車がなくなっちゃった」というだけではありませんでした。

私の頭の中に頑固に張り付いていた思考回路の一部がベロリと剥がれた瞬間でした。

  

退職後、1年ほどして配偶者は再就職します。

当然のことながら、配偶者も私も最寄りの駅までは徒歩20分、朝晩歩いて通います。

雨が降っても駅までお迎えに行くこともなく、その心配をすることもありません。

歩けなければタクシーも、並べばあるでしょう。

ポッペはリモートが増え、出かけるときはシェアサイクルを利用するようです。

ボーは前からそうですが、高校生の時から使っている自転車です。

それぞれ大人の家族が共に暮らすのです。

誰かが誰かのために一方的に時間や労力を負担する生活にはオサラバです。

  

  

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