母の認知症検査は少し間をあけて必ずリトライすると心に決めました。
さて、普段の生活に補助が必要ないとはいえ、たとえば食生活はお粗末でした。
以前から料理は嫌いだった母。
それでもそれなりに自炊はできていました。
とはいえ、作ってもご飯を炊いて野菜炒めがせいぜい。
すぐ食べられるパンや牛乳、ヨーグルト、シャケフレークなどをストックすることで補っていました。
これでも母の状態は「介護」の観点から見れば自立できていることになります。
地域包括支援センターの方のアドバイスには、自立できている人の日常的な見守りはありませんでした。
手助けのない今の状態でなんとか踏みとどまるには何をすれば良いか。
気楽な毎日とはいえ趣味もなく話し相手もいない、テレビを見て寝る生活です。
ポメラニアンのモモちゃんは、すでに天国へ行ってしまいました。
ふと私が子供のころにセキセイインコをつがいで飼っていたことを思い出しました。
母が好きな小鳥なら話し相手になるかもと思い立ち、インコとゲージ一式を揃えて車で帰省した事もありました。
でも母は負担に感じたらしくすぐ逃してしまいました。
考えては失敗する日々が続いたある日、一本の電話が大きく流れを変えたのでした。
「お母さんを病院へ搬送するため救急車を呼びました」
事の発端は、地域巡回担当のお二人がたまたま実家の前を通ったことでした。
母はこの頃には朝昼なく実家前の駐車場を箒ではいていたので、お二人が他の高齢者のお宅訪問をされる際よく見かけていたと教えてくださいました。
しかし、その日は見かけなかったので気になったそうです。
「念のため声かけしよう」
インターフォンを鳴らしても反応がなく「念のため」茶の間の窓から様子を見て倒れている母を発見。
ガラスを叩いて「C子さん!大丈夫?!」と声をかけると、倒れたまま右手を横に振ったので意識ありと確認、「起きれる?」と聞くとまた右手を横に振ったそうです。
1階のドアや窓はすべて施錠され、解錠しないと中に入れません。
8月の真っただ中、エアコンの室外機は回っていたけれど熱中症かもということで救急車を呼ぶため私に連絡が入りました。
救急車・はしご車・パトカーも到着。第一報の直後さらに電話がかかりました。
消防です。防犯上2階窓のガラスを切って鍵を開けます。どの窓が侵入に障害物なく入れますか。
警察です。娘さんですか。お母さんが倒れていると通報がありました。救急搬送するようですので見守ります。
地域巡回担当の方(第一発見者)が救急車に付き添って下さり、診察結果などは私から病院に電話で伺うようにとのことでした。
早速、診ていただいた医師の先生にお話をお聞きしました。
容体は落ち着いていて心配はないと思うが、一人暮らしでもあるので一晩入院していただきます。明日念のため一通りの検査をして異常がなければ退院となる予定です。手続き等あるので明日の午前中に病院に来られますか?
天使が舞い降りました。
搬送先は何年も連れていくことが出来なかった総合病院。
母がひとまず無事で安心しましたが、この機会に認知症の検査を希望する旨お話しし翌日午前中に伺うことになりました。
「念のため」声をかけてくださったことで重かった扉が大きく開かれました。
2017年8月のことでした。
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