本格的な冬を感じ始めたころから、気になっていることがありまして。
今、特別養護老人ホームにお世話になっている86歳の母親のことです。
4年以上会わないまま年を越そうとしています。
このブログで一番最初に記事を書き始めたのが、母を遠距離介護したドキュメントでした。
認知症の疑いが時間と共に色濃くなるものの、病院へ連れていくまでが四苦八苦。
偶然の出来事から介護付きの一人暮らしが始まりました。
東京に住んでいながら、遠く離れた実家に住む母をサポートするという〝離れ技〟。
毎週のようにケアマネージャーさんと連絡を取り合い、ヘルパーさんにもお世話になりました。
それでも認知症は着実に進み、いよいよ一人暮らしの限界が見え始めたころ‥。
母が夜昼なく徘徊するようになり、急ぎ入所できる民間施設を探しました。
この民間施設の入所は、2019年の9月。
その年末から徐々にコロナの話が出始め、年が明けると春には一気に警戒態勢になっていきます。
もし入所の時期が半年遅ければ‥
私も動くことができず、どうなっていたことでしょう。
この施設に1年間ほどお世話になった頃、母は要介護3になり特別養護老人ホームに入れることになりました。
どちらの施設でもコロナを警戒して、長い間面会はできませんでした。
そういう訳で、私は特別養護老人ホームへは一度も行ったことがありません。
今は、予約をすれば10分間だけ面会することができるそうです。
面会可能になったのは実はもっと前からです。
でもその時は面会したいと思いませんでした。
時間が短いからとか、遠いからとか、そういうことではなく。
私にとって母とは、そういう存在だとしか言いようがありません。
母と関わった長い長い時間。
その間に得たもの、失ったもの、取り返したもの、それら全てに意味があっても無くても。
それでも最近ときどき思うのです。
そろそろ会いに行こうかな‥。
もしかして、このまま顔を見ることなく、あの世に行ったとしたらどう思うだろうか。
最後に会った日のことを思い出します。
あの時はまだ要介護1の時でした。
民間の施設に入所の日、私と娘のポッペが同行しました。
早朝に新幹線に乗り、在来線を乗り継いで午前中に実家に到着しました。
数時間たわいのない話をして母の気持ちをほぐします。
お昼前、タクシーで施設に向かい、母は初めての場所だとわかり緊張しているようでした。
これから母が使う個室に案内され、買い物した雑貨などを棚に入れたりしました。
私と母とふたりでベッドに座っていた時でした。
母が「家に帰りたいんですが、ダメでしょうか」と訊きました。
私のことを職員さんだと思ったようでした。
私が「ちょっと無理ですねぇ」と答えると「そうですか」と。
その後すぐにケアマネさんが到着し、私にそっとアドバイスされました。
夕方から皆さん気分が不安定になられること多いんですよ。
C子さん(母)の相手をしますからタイミングを見て娘さん達は帰られた方がいいと思います。
私とポッペはそっと支度をして、そのまま母には挨拶をしないで帰ることにしました。
あの会話が今のところ最後になります。
自分の娘と気づかずに遠慮がちに話す母。
そこに血の通った感情のカケラも感じずに返事をする娘の私。
でもその同じ日、ポッペを自分の娘と勘違いして当たり散らす母の姿もあったのでした。
私が入所の手続きのため1時間ほど席をはずした間、ポッペが母に付き添っていたのです。
ポッペはそれによく耐えて我慢してくれました。
私が居なかったその場面で交わされた一方的で暴力的な言葉は、生身の母そのもの。
年をとったからと言って丸くなどなったわけではありません。
自身が不安な時、怒りをぶつけることで自分を守ろうとするむき出しの気質がここでもさらけ出されたのでした。
私のこころに浮かんでは消える〝迷い〟。
それは「この母の印象のままで永遠に分かれることになっても良いか」という問いです。
要介護4になり、身体能力も記憶も衰えた母の状態を知っておいた方が良いのではないか。
それとも、絶対に君臨できると思っている娘を前にした時、衰えた脳が覚醒するのか。
10分間の対面を、迷うのであれば会った方が良いかもと思い始めている私でした。
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