卒婚

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イヤな予感、的中。でも転入届のことではなくて‥

イヤな予感は、別のモノでした。H弁護士の元に、相手方から私宛の手紙が送られていたのです。H弁護士からのメールにPDFが添付されています。私はうんざりした気分でH弁護士に開封を依頼しました。
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私と息子、別々の世帯になったらしいです。

新しい住まいで始まった、私と息子(ボー)との生活。1DKを大人2人でルームシェアです。そんなこと、できるの⁉(笑)今回、転出届を出す時ちょっと失敗してしまって。私とボーはそれぞれに転出証明書を発行してもらい、転入手続きも別々になりました。
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新しい道は山あり谷あり?

昨日のショックからすぐに切り替えられない私。でも現実はここからが第2幕の始まりです。別居後は離婚に向けてシフトチェンジしていかなければなりません。相手の出方は未知数です。スムーズに事が運ぶわけないかも。
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大学の授業料が引落されていない問題。

入念に準備して決行された別居から1週間。間違えて持ってきてしまった配偶者の通帳は教育費専用にしていたもの。念のため通帳記入して確かめると、絶対に起こりえないことが。授業料が引き落とされないままになっています!
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父親との決別。息子(ボー)の場合

父親との思い出がないというボーの子ども時代。手の平を返したように干渉された大学生活。それは成長した息子に関心を持った父親の姿ではなく、配偶者自身が唯一手にできなかった青春の記憶を塗り替える作業に過ぎませんでした。
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父親との決別。娘(ポッペ)の場合

別居当日。配偶者は私と連絡が取れないと分かり、娘のポッペに電話をかけてきます。それがわかっていたので私とボーは着拒にしました。その決心がつかないと言っていたポッペは、このところ一番ナーバスになっていました。
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別居当日 part2

私の新しい出発を娘のポッペと息子のボーの3人で祝うときがやってきました。山あり谷ありの21カ月でした。配偶者が現実を知るのは早くても19時。3人で配偶者との連絡手段をどうするか打ち合わせていました。
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別居当日 part 1

「配偶者と別居する」そう決めてから足掛け2年。とうとうその日がやってきました。綿密に計画して、時間をかけて準備をしたはずです。一方でタスクをこなすことに追われ、感情の高ぶりや緊張よりどこか冷静に迎えた当日でした。
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現実を知った配偶者を予想する。

昨年の1月に始まったこの長い道のりは、明日いよいよクライマックスを迎えます。娘と息子の3人でLINE通話していて、Xデイのそのとき、事実を知った配偶者のリアクションがどうなるかという話になりました。
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神のご加護?このタイミングで現金が。

ダイニングテーブルも買えないと諦めかけていたころ、思いがけない郵便が届きました。私名義で加入している保険会社からです。加入した当時の目的は、万が一自分にもしものことがあった時に備える事。それが救世主となりました。
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最後の料理をつくる日は

『夕飯をいつまで作るのか』Xデイ直前まで料理するなんて、なんかイヤ。10月1・2日は、下半期始めという節目の週末。通常なら残業必至。立派な理由があるわけです。「夕飯は各自で」と当日LINEで知らせるつもりです。
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別居まで、あと4日。で思うこと。

以前も今も、家族のありように全く関心を示してこなかった配偶者。この段階になっても、自分の身の回りで何が起こっているのか全く気づいていないのです。もちろん今日、私が何のために外出したのかということも。
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ふたつとも、ヤマは越えた。

私の別居と並行して進めていた、実家の貸事務所のリフォーム。無事すべての工事が完了しました。それと相前後して、わたしの引越もヤマを越えました。今日、29日に新居で引越しの荷物を受け取ります。
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会社に知らせました。

今日終業後、私の別居の件で上司にすこし時間をいただきました。本来仕事とは何の関係もありません。でも普通の引越しではないために、万が一を考えておかなければならないのです。それに繁忙期が目の前でした。
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このごろの私と息子、配偶者。

Xデイまでをどのように過ごしていくか。 これは前から懸案ではありました。息子と配偶者はほとんど口をききません。私も必要に迫られなければ無言です。でも夕飯だけは3人で食卓に着いていました。配偶者がコロナにかかるまでは。
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