卒婚

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確実に離婚できる道を選ばない理由

長い結婚生活を終わりにするために裁判に踏み切った私。でも別居生活を続けていれば確実にいつかは離婚できるのに、どうして今裁判しなきゃいけないの?という声がどこからか聞こえてきました。ごもっともです。なんですけど・・・
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だんだん腹が立ってきました

最後の調停で相手方の体調が悪くなったことを知り、暫らくナーバスになっていた私。漸く少しずつ元に戻ってきました。そんなときH弁護士から訴訟に必要な書類を知らせるメールが。コンビニでPDFを印刷したり年金事務所に出向いたり大忙しです。
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別居して、1年経って思うこと

「別居をする」と決めた時から大きく舵を切った私の人生。もし、あそこで決心がつかなかったら?反対にもっと前に別居をしていたら?私には全然違う運命が待っていたかもしれない…。選んだ人生は間違いなく幸せで感謝しかありません。
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こころに沈んだ、おもりの毒

離婚調停は相手方が決断できず不成立。体調不良で離婚を決心できないと言われたことが、こころに重く残りました。今までの経緯を思えば私が負い目を感じる必要などなく、離婚の意思は微動だにしないのです。それでも後味の悪い気持ちが拭えないままでした。
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離婚調停、第7回目。《調停不成立決定》

別居後、離婚に向けての協議を拒絶され離婚調停を申立てて9カ月。春ごろ相手方に弁護士がついて、ようやく具体的な話し合いを進めていたのですが…。もう修復不可能な状況という現実を相手方は受け入れることが出来ないようです。
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新しい運命は与えられたものか

美容院で1年前の話になり、前の生活を思い出していました。すっかり今の生活に馴染んでいる私。前の生活がスタンダードだった以前の自分。不満はあったのに生き方を変えられるなんて思わなかったのは自分自身を考えていなかったから。
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息子から見た父親の姿

「去年の今ごろは別居の準備で忙しかったね」そんな話から、息子のボーがその頃や今までのことを話し始めました。父親に対して何を思っていたのか、その時の自分はどうしたかったのか、そしてその後や今はどう感じているのか…。
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今になって知った、相手方にとっての〝家族〟

久しぶりに娘と息子と3人で別居前の話になりました。1年前はまだ別居の準備をしていた頃です。心身ともに加速度的に劣化していく父親と対峙する過程で子ども達が悟ったこと。そして今になって意外なことが分かりました。
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「ご縁っていうのは•••」人生の先輩が放った真理

『これはご縁なのね』 そう感じて決めた結婚。運命に導かれるように物事が進んでいったのに、結局は実らなかった結末。 ご縁があったはずなのに、何か間違ったの?ご縁っていったい何なんだろう?人生の先輩はハッキリと答えを示してくれました。
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〝非公開〟にした記事についてです。

2年前の7月末にこのブログを始めました。初投稿して以来、この記事で307記事目となります。 現在そのうち14の記事を非公開にしています。 どうして非公開なのか。 それを少しお話したいなと思いまして。
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「ABEMA prime」に出演することになりそうです。

突然のことで私自身とても驚いています。 このブログを読んでいただいてのお話という事です。 「ABEMA prime」は平日21時~23時の2時間、生放送のネットニュース番組。 年々...
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離婚したら、名前どうする?

離婚で旧姓に戻すか、変更しないか。 結婚で苗字が変わった側は、離婚のとき手続きをしなければ自動的に旧姓に戻ります。離婚という節目は、私にとって前進でこそあれ過去に戻ることでは決してありません。
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別居後、一番近づいた瞬間。

4回目の調停では、今までになく相手方との物理的な距離が近くなりました。初めて相手方が調停に出席した時は同じフロアにいるだけで極度に緊張していた私。この空間と時間に自分自身がどういう変化を起こすのか、私自身にも予想できませんでした。
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離婚調停、第4回目。

相手方は前回の調停で〝婚姻費用〟を分担する協議には応じる姿勢を見せました。 私はH弁護士から、この婚姻費用分担調停を成立させることが、離婚調停に向けた突破口を開く大切な第1歩になると聞いていました。
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健気なようで健気ではなかった私。

私が家庭の主婦だった頃。 〝自分の役割〟と思って長年やってきたことがブツギをかもしたことがありました。 《毎朝5時に起きて車で相手方を駅まで送り、晩は深夜になっても駅まで迎えに行く》 ...
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