卒婚

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息子から見た父親の姿

「去年の今ごろは別居の準備で忙しかったね」そんな話から、息子のボーがその頃や今までのことを話し始めました。父親に対して何を思っていたのか、その時の自分はどうしたかったのか、そしてその後や今はどう感じているのか…。
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今になって知った、相手方にとっての〝家族〟

久しぶりに娘と息子と3人で別居前の話になりました。1年前はまだ別居の準備をしていた頃です。心身ともに加速度的に劣化していく父親と対峙する過程で子ども達が悟ったこと。そして今になって意外なことが分かりました。
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「ご縁っていうのは•••」人生の先輩が放った真理

『これはご縁なのね』 そう感じて決めた結婚。運命に導かれるように物事が進んでいったのに、結局は実らなかった結末。 ご縁があったはずなのに、何か間違ったの?ご縁っていったい何なんだろう?人生の先輩はハッキリと答えを示してくれました。
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〝非公開〟にした記事についてです。

2年前の7月末にこのブログを始めました。初投稿して以来、この記事で307記事目となります。 現在そのうち14の記事を非公開にしています。 どうして非公開なのか。 それを少しお話したいなと思いまして。
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「ABEMA prime」に出演することになりそうです。

突然のことで私自身とても驚いています。 このブログを読んでいただいてのお話という事です。 「ABEMA prime」は平日21時~23時の2時間、生放送のネットニュース番組。 年々...
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離婚したら、名前どうする?

離婚で旧姓に戻すか、変更しないか。 結婚で苗字が変わった側は、離婚のとき手続きをしなければ自動的に旧姓に戻ります。離婚という節目は、私にとって前進でこそあれ過去に戻ることでは決してありません。
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別居後、一番近づいた瞬間。

4回目の調停では、今までになく相手方との物理的な距離が近くなりました。初めて相手方が調停に出席した時は同じフロアにいるだけで極度に緊張していた私。この空間と時間に自分自身がどういう変化を起こすのか、私自身にも予想できませんでした。
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離婚調停、第4回目。

相手方は前回の調停で〝婚姻費用〟を分担する協議には応じる姿勢を見せました。 私はH弁護士から、この婚姻費用分担調停を成立させることが、離婚調停に向けた突破口を開く大切な第1歩になると聞いていました。
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健気なようで健気でない。

私が家庭の主婦だった頃。 〝自分の役割〟と思って長年やってきたことがブツギをかもしたことがありました。 《毎朝5時に起きて車で相手方を駅まで送り、晩は深夜になっても駅まで迎えに行く》 ...
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〝自己肯定感〟に思う事。

世の中には、なぜだかとても感じの良い人がいらっしゃいます。 ごく自然体でありながら、周りの人まで温かい幸福感を感じるような。自己肯定感を育むのに無くてはならない絶対的な愛情に包まれて育つことが出来た人。うらやましい限りですが中々そうはいきません。
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ボロボロのTシャツと離婚と私。

「離婚はしない」という相手方が執着しているもの。それは私にとってはもう存在していないもの。相手方にとっても二度と手にできないマボロシ。28年の年月をかけて離婚に帰結する途中の幻想でしかありません。
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離婚調停、第3回目。

3カ月ぶりに開かれた離婚調停。相手方にも代理人が就いて、いよいよ弁護士同士で本格的に話が進むかもと少し期待していましたが‥。弁護士の先生は代理人として本人の代弁をするもので本人の意向が第一優先されるのです。
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とうとう、相手方に弁護士がつきました。

延び延びになっていた3回目の離婚調停を前に、相手方がいよいよ代理人を就けたことが分かりました。いままでの「離婚しない」と主張するのみという態度から変化したのです。これでようやく話し合いのテーブルにつけることになりました。
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「今が一番幸せ!」の終わり。

自分の潜在意識の中にしまわれていた大切な気持ち。自分でも思いがけないことをきっかけに知るということもあるんですね。「私は必ず幸せになる、その権利がある」 この自分の強い気持ちは、今の生活を手に入れるための大きな力となりました。
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大船に乗ってるんだから。

最近、気分が落ち込みがちで元気のない私。急に昔のことを思い出したり、離婚調停の行く末を案じてみたり。見たことない夢を見て朝からぼんやりしてしまったり。もっと気楽に楽しいこと考えて過ごせばいいのに。
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