先週の土曜日、急激にメンタルが弱ってしまった私。
あの日、久しぶりに心臓がドクドクしたことが尾を引いていました。
会社を出て、電車に乗り、買い物をして家に着いても。
気づくとはるか昔をぼんやり考えています。
両親が今の実家を建てる前、狭くて日の当たらない借家に住んでいた子どもの頃の日々。
毎日いがみ合い、ののしり合う父母。
自分で処理できない感情をぶつけてくる母親。
幼くて非力だったため抗えなかった経験。
その後はモヤっとした無力感で脱力していました。
記憶というより体が思い出したように、ぼんやりとした倦怠感となって再び現れました。
せっかく新しい生活を満喫していたのに、どうして昔の事ばかり思い出すのかな・・・
数日前に、実家の浄化槽のことを考えていたのも呼び水になったかもしれません。
ブレーカーを上げるためだけに新幹線に乗って帰省するの?
あ~ダルすぎる・・・
そう思っていたところです。
暖かい日が続いたせいか、幸い意識が外に向きました。
ずいぶん亡父のお墓参りもしてないし、母屋の空気も入れ替えたいし。
夏に伐採してもらった庭の、その後の様子も見とこうかな、という気になりました。
「ちょっと面倒だけど明日は休日だし、行こう」そう思い立ちました。
実家に着き、真っ先にブレーカーを上げると浄化槽が動きだしました。
母屋の1Fと2Fの窓をあけ、久しぶりに風を通します。
庭の様子は予想したほど酷くはありませんでした。
家の中は家具以外あらかた処分してほぼ空っぽです。
残っているのは、アルバムや無造作に写真が入った袋、思い出の品物。
それらが思っていたより数多くありました。
そのうちのアルバムを久しぶりに手に取る気になりました。
子どもだった自分、まだ若い父母。
年に1回ほど近場に旅行した時の写真や、何かの記念のスナップ。
忘れていた日々がそこに蘇って、私は意外なことに気がつきます。
なんか、3人とも楽しそうにしてるじゃん。
結構笑ってるし‥
そこには、父も母も私も満面の笑みで写っている姿がありました。
3人それぞれの笑顔にウソはありません。
あの頃、もちろん楽しかった時間も確かにあったのです。
それだけに不意打ちで突き放された時に感じる悲しみが、若かった自分をどんどん尖らせていったことを思い出しました。
どん底に落ちていくような感覚と、体全体が心臓になったようにドクドクと脈打つ鼓動。
この親を頼ったり、信じたり、喜ばせようと期待をすると必ず味わう感情でした。
父が亡くなって、母と娘の関係がより近くなったかに見えたこともありました。
でもC子さんから浴びせられる毒は昔と何ら変わりませんでした。
私自身も子育てを経験し、その立場から過去のC子さんを見るようになったことで確信を得ました。
〝子として最低限の勤めを果たす〟それでよいと。
ひるがえって、28年間かけて崩壊に向かった私の家庭はどうだったでしょう。
子ども達が小学生の頃たまに旅行に行った先の家族写真で、子ども達が心から笑顔になった写真は見当たりません。
私が憧れた〝幸せな家庭〟は、ここにも存在しませんでした。
でも今、結果として子ども達と私の関係は同志のように固く、慈しみあっています。
3人家族になって、ようやく私の一番欲しかった〝幸せの青い鳥〟を見つけられたのです。
久しぶりに帰省し目的を果たし、図らずもあの一瞬の動揺が何だったかを知りました。
帰京する新幹線の中で、私は自分のこころがすっかり日常に戻ったことに気がつきました。
↓よろしければクリックお願いします <(_ _)>
コメント