〝自己肯定感〟に思う事。

卒婚

世の中には、なぜだかとても感じの良い人がいらっしゃいます。

ごく自然体でありながら、周りの人まで温かい幸福感を感じるような。

生まれとか育ちとか、品の良し悪しなどではなく。

「あなたは居てくれるだけで素晴らしいのよ」という絶対的な愛情に包まれて育つことが出来た人。

自己肯定感を育むのに無くてはならない素晴らしい環境を手に入れられた人です。

こればっかりは運ですね。

うらやましい限りですが大抵の場合そうはいきません。

私自身は、このブログでもご紹介している通り中々ハードな半生でした。

自己肯定感など持てるわけもない、実家での暮らし。

せっかく〝幸せな家庭〟を夢見て結婚したけれど、現実は理想とはずいぶん違うものになってしまいました。

娘のポッペと息子のボーは、私にとって生まれる前からかけがえのない存在だったことは確かです。

でもその2人にも、私は自己肯定感が高くなるような環境を整えることはできませんでした。

皮肉にも〝幸せな家庭〟を追いかける生活は、決して幸せなものではなかったのです。

ポッペもボーも家庭や学校という与えられた環境の中、自分自身を見つけようともがいていました。

それがどんなものだったかは本人にしか分かりません。

ただ、成長過程の折々に共有した時間と、ここ数年に何度も話し合った様々な内容から大まかな事は教えてもらいました。

  

2人とも数えきれないほど何度もネガティブな考えや思いに足元をすくわれながら歩いてきました。

ポッペが自己肯定感を持てるようになったのはつい最近です。

父親の勧めに従った就職先を3年勤めて退職し、自分の力で転職。

転職先はそれまでとは比較にならない規模とレベルと環境で、完全に〝超えた〟のでした。

そこで培った人間関係は、今のポッペの自己肯定感の裏付けになっています。

ボーは大学受験でそれまでの鬱積をぶつけるように勉強し、第一志望の大学に合格。

自己肯定感を感じられたのも束の間、留年・就活の失敗と苦しんでいます。

どん底の末に今、最後の大学生活と就活と並行して企業で事務のバイトをしています。

そこでは担当していた基本的な事務処理以外に、応援として他部署の仕事も手伝いました。

その仕事が評価され、今後はボーにとってやりがいを感じる仕事が中心となることになりました。

ボー
ボー

大学に受かった時以来の自己肯定感を感じられたよ。

いろいろ勉強になるし、本当にありがたい。

私の場合、相手方が発した言葉で自尊心という眠れる獅子が目覚めたようなものです。

とはいえ物心ついて以来、半世紀も知らなかった自己肯定感。

少しずつ〝持てるようになって〟行くと同時に自分自身が離婚を望んでいることを自覚しました。

ブログを通して夢中で駆け抜けた結婚生活を振り返り、忘れていた様々な出来事がよみがえりました。

そのすべてに対して「手を抜いてこなかった」と自信を持って言えました。

子ども達がそれまでの私を〝修行僧〟と言っていた意味も理解しました。

そしてポッペとボーと分ち合ったすべてのことが、私に自己肯定感をもたらしてくれたのです。

  

自己肯定感とは、持とうと思って持てるものではないようです。

人から自分という人間を認められて初めて、自分も自身を受け入れることが出来る。

そんな気がしました。

  

  

  

  

  

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