「実は俺ねぇ、明後日から検査入院する。」
ある朝、配偶者本人は出勤間際、私は寝起き2分後のことです。
いつも私が起きる時間には居ないはずなのに、なんでいるんだろう…
まだ頭が起ききらない状態で事情だけ聞かされました。
腎臓の機能が正常でないので原因を見つけるための入院。約2週間の予定だそうです。
検査→投薬→経過観察が数回あるため日数がかかるとのこと。
1年ほど前から配偶者の手足や顔がむくみだして人相まで変わっていました。
「いつものM病院。2週間後には帰る。ママ明日仕事休みなら下着とか…(買っておいて)」
その時私に伝えられたのはそれだけです。
そのことより配偶者があまりにも自然に私を「ママ」と呼んだことが一番耳につきました。
結婚前から痛風と高血圧の薬を飲んでいるとは聞いていました。
ずっと夕食前に数種類の薬を飲んでいます。
でも、それは何のための薬で現在どんな症状があるのか…私は知らずにいます。
これは今に始まったことではありません。
配偶者の健康診断の結果や、病院に通っている頻度、毎月の薬代などは話したがらない話題でした。
以前子供たちに医療費がかかった時など、医療費控除の申請で合算しようと提案しても断られました。
その時は色々思うところもありましたが、モメたくない気持ちの方が勝って黙っていました。
それ以来、配偶者の病気や病院については、訊かない習慣になっていました。
“いつもの病院”といわれても、それを共有している意識などありません。
一般的に入院、しかも2週間ともなれば用意するものは結構あるでしょう。
以前であればもっと話をしたでしょうが、私から訊く気にはなれません。
その日の仕事帰りに、頼まれた下着3枚とルームウェア上下2組をユニクロで買い、翌日袋に入ったまま渡しました。
配偶者は現役のころから出張の準備など手慣れています。
入院だって大して変わらないのかもしれません。
入院前日の夜、配偶者はパンパンに詰め込まれた2つの鞄を持って帰宅。
渡したユニクロの袋を「ありがとう」と受け取り、ご飯を食べ終わると、いつものように布団に寝転んでニュースを観ながら寝始めました。
翌日何時に病院へ行くのか知りません。
入院先の病棟も、連絡先も、入院に関することは何一つ。
なんなら病院の住所も知りません。ネットで調べればわかることですが。
明日私は仕事です。
自分のためにひとこと聞いておいた方が良いと思いました。
「ちょっと、寝る前に、私が聞いておくべきことある?」
配偶者は寝始めのボヤけたような顔で見上げてから少し考えて「特に…ないなぁ」と言いました。
ふぅん、わかった。それなら大丈夫だね。
「何かあったらLINEで」
この出来事でいろんなことが分かりました。
私自身の配偶者に対する心持。
たとえ義務感ででも、相手に働きかけるという気持ちが無くなりました。
それを後ろめたいということも。
配偶者の私に対する意識。
私が配偶者に関わらない時間については共有する必要はないということ。
そしてその認識はあまりにも自然な事として配偶者の心の中に納まっているということ。
一番はっきりしたのは、私と配偶者の間の温度感の違いです。
あの日、配偶者の口から出た「別居」という言葉は、私の中に燃えていた“家族”という炎を一瞬で吹き消しました。
炎が消え、冷えきった心に再び火がつくことはない。
それを吹き消した本人だけが気づいていない。
また火をつけられると思っている。というより消えたとも思っていない。
あの間の抜けたような食い違いに終わった会話に意味があるとしたら、これこそが私と配偶者の真の姿だと明らかにしたことでした。
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