世の中、激増中と言われる熟年離婚。
20年以上連れ添った夫婦の崩壊はその原因を聞かなくても大体察しが付く昨今です。
協議して決着がつかなければ調停、それでもダメな場合は裁判となり費用も時間もかかります。
これ、私のパターンですね。
相手方が脅しのつもりで別居を持ち出し、それを承諾しました。
実はコレ、地味に〝大事なポイント〟です。
『お互い別居を承認した』状態でないと、家を出た方が義務を放棄したと見なされてしまいます。
法的にはそれが落ち度となることも。
私の場合相手方は協議に応じず、調停も不成立となり、今年始めに裁判が始まりました。
ほぼ月に一度のペースで既に8回、未だ資料を付き合わせています!
熟年世代、元気そうでも不調の一つや二つ…いつ地雷を踏むかわかりません。
時間かけてる場合じゃないんですよね。
おかげ様で私はいたって健康です。
一方相手方は別居後重い病気になり現在闘病中だそうです。
もっとも家を出る数年前から私や子ども達は異変に気づいていたのです。
禁煙や医療機関への受診を勧めても取り合わないので次第に言うのを止めました。
別居のストレスからか入院したり通院したりと病気が一気に顕在化したようです。
問題は私がこれをどうとらえるべきか。
かつてよく似たテーマで書いたことがあります。
離婚協議に応じない相手方の心理状態や行動、私の責任など考察したのです。
相手方にしてみれば、この数年間の出来事は崖から転げ落ちるようだったに違いありません。
長年勤めた会社から退職を迫られ、周りから愛されていると思っていたにもかかわらず現実は全く違っていました。
成長した子ども達との関係もどんどん悪化し、唯一絶対裏切らないと高をくくっていた相手はカスミのように自分の前から姿を消し離婚を迫ってきたのです。
華やかなりし青春、勝ち組だと(本人は)信じていた現役時代からは真逆の現在。
兄弟もなく親戚とはずっと疎遠で、今は誰一人頼れる者がいない状況かもしれません。
ここでモラハラ被害者がよく陥りがちな考え方が
「戻ってあげないと誰も看てくれないかも」
「見捨てるようで後味が悪い」
私はモラハラ被害者の典型と言われながらも、そこまで深刻ではなかったようです。
客観的に気の毒な状況ではある。
でもそれは私の問題ではない。
ハリウッド映画の冷徹なサイコパスのセリフと思われるでしょうか。
偽らざる私の本音です。
大前提として相手方から助けを求められてはいません。
その上で「誰も看てくれないかも」という相手方の状況を私が斟酌する必要があるでしょうか?
答えはNO です。
困っているならば相談する窓口は行政に用意されています。
「見捨てるようで‥」こんなことを思う必要は全くないと思っています。
そもそもこの状況を作ったのは誰か。
家を出るまで28年間の結婚生活、子ども達との4人家族の日々。
〝長年連れ添った〟間の出来事すべての結果が今ここに現れているのです。
家族の温かさどころか年中無味乾燥な関係にジョウロで水を撒き続けるような生活。
私も子ども達も、家族として働きかけ我慢することは既にやりつくしました。
私達の心が何度ズタズタに傷ついても振り返りもしなかった相手方。
呆れるほど自分にしか興味が無いのに、驚くほど内省をしないまま何十年も生きて来たツケです。
事ここに至る直前まで、意思をもって足元の危うさに目も耳も塞いだままでした。
家族のことを何も知ろうとしなかった相手方に、私と子ども達の方がとうの昔に見捨てられていたのです。
後家に花が咲き、やもめに‥と言いますね(後家ではないですが)
熟年になってからの時間はこれまでの人生の通信簿とも言われます。
過去の自分が招いた今。そして今の自分が将来を決めるのです。
私は自分の人生がこの先続こうと、明日終わろうと何も変わりません。
相手方に対しては一切関わらないと心に決めています。
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