C子さんが2019年9月に住宅型有料老人施設へ入所した後、自宅は空家になりました。
毎週利用していた生協や、ガスと水道も解約です。
電気だけは急に帰省することになっても困らないようにそのままにしました。
解約と言えば、毎年の春と秋にお隣の庭を清掃するため契約していた業者さんにも連絡をしました。
そして今まで大変お世話になっていたヘルパーさん。
本来ならお会いしてお礼を言いたかったのですが、ケアマネさんを通して感謝の気持ちをお送りしました。
お隣の奥様には帰京する際に、町内会長さんにはお手紙で報告しました。
たくさんの方たちに支えられたC子さんの一人暮らしはこれで終わりです。
10月には自治体から、今までの要介護1から要介護2へ変更になったと通知が来ました。
やはり身体は丈夫でも認知症は着実に進行しているのだと実感します。
季節の変わり目に衣服の追加を送ったり、施設からは毎月の請求書や翌月の予定と共にC子さんの様子も送られてきました。
12月下旬ごろ「最近C子さんが落ち着きがない様子なので居室にTVを設置しては」と施設の担当の方から要望がありました。
本当は入所するとき、実家で使用していた小さいTVを一緒に運ぶつもりでした。
でも持ち上げようとすると地震対策でしっかり固定され、さび付いて取り外せないのです。
「次の帰省の時は+のドライバー持参だね」などと暢気に構えていました。
早速TVを取付工事も込みでネット注文し、なんとか年内に間に合わせることが出来ました。
入ったばかりのころは存外大人しかったC子さんも、だんだんとそれなりに新しい環境に慣れてくるのでしょうか。
認知症の人は、環境が変わると症状が進むそうですが…
春ころになると、『ここ(施設)は自分の家で、みんな(ほかの居住者の方々)を住まわせてあげている』と思い込んでいるようでした。
そんなことを言ってしまうなんて…一番新参者なのに…
このことはC子さんが人生で何を重要に考えていたか、見事にあらわしていました。
私が子供のころ小さな借家住まいで、C子さんが何度も「早く出ていきたい」と言っていたのを覚えています。
土地を買い自宅と父の仕事場を持ったことは一番の誇りだったのでしょう。
C子さんが認知症になって家の掃除や洗濯はできなくなっても、駐車場を掃くことだけ習慣として残ったのはそういうことだったのかなと感じました。
このころから、東京ではコロナが本格化し緊急事態宣言も出されるようになります。
私達が介護施設を訪ねることは当分見合わせとなりました。
そもそもC子さんが施設へ入所できたのは、迷子になって警察に2度も続けて保護されたことがきっかけです。
一刻の猶予もないということで、予算とはかけ離れてはいましたが空きのある所にしたのでした。
これも半年時期が遅ければ、事態は全く変わっていたことでしょう。
私たちも身動きが取れずどうなっていたかわかりません。
このように導いてくれた何か大きな力があるように感じ、感謝しかありませんでした。
C子さんは夏ごろになると夜眠れなくなったり、施設内を徘徊したりするようになったため興奮を抑えるお薬を飲むようになりました。
気分転換に近くのデイサービスにも通うようになります。
素人目にも認知症の症状は進んでいるように感じていました。
そして施設での生活も丸1年になる2020年9月、C子さんが要介護3になったと知らせがありました。
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