【母が特養に入るまで】(13) 限界だった一人暮らしの現実

遠距離介護

母をショートステイに送り出し、私は実家を後にしました。

本当に怒涛の10日間でした。

駅まで歩く途中、同じ道沿いにこの地域の世話役的な方のお住まいがあります。

その方は亡き父が生前仕事でお付き合いのあった方で、母のこともよく知っていらっしゃいます。

ご在宅であればと呼び鈴を鳴らし、父の名を告げ、娘ですと名乗るとご夫妻で出てきてくださいました。

母の一連の騒ぎについて手短にご説明し、来月から介護の手を借りて一人暮らしを続ける予定とお話ししました。

私自身は東京にいて家族と住んでいることもお伝えし、もし見かけることなどあればお気に留めていただけないか頼んでみました。

母が出歩くことがあれば、この道を駅方向に向かう可能性があるからです。

ご夫妻とも快諾していただき連絡先を交換させて頂きました。

次は亡父の眠るお寺へ立ち寄ります。

溜まった郵便物の中に、檀家の年会費のお知らせを見つけました。

無くしてしまったものもあると思い昨日お電話で問い合わせてみると、なんと今年の分も併せて6年分溜まっているとのこと。

お詫びして明日夕方お伺いすると伝えました。

お寺の近くでお供え用の和菓子とお墓のお花を調達し、久しぶりのお墓参りです。

和尚様には会費のお支払いと共に母の近況を報告し、連絡先を私に変更していただきました。

これで今回は帰京となります。

陽が傾いた在来線のプラットホームで電車を待ちながら、10日前病院へ向かう途中でひとまず実家に立ち寄ったときのことを思い出していました。

玄関ドアを開けると、たたきや廊下に目立つ大きな埃。

トイレも洗面所もお風呂もずいぶん汚れています。

お風呂の洗い場に水を張ったバケツがあり、洗いかけには見えない洗濯物が浸されていました。

母は元々料理も掃除もできるだけ手を抜く人です。

でも洗濯だけは毎日欠かさずしていたのに‥

キッチンも予想通り汚れていてIHや換気扇は油汚れがこびりつき、シンクも黒ずんでいます。

長い間掃除をしていないことは一目瞭然です。

水切りカゴには母が普段使っている茶碗やコップが洗って伏せてありました。

かろうじて洗い物だけはできていたのでしょうか。

でも今までの見慣れた光景とは決定的な違いがありました。

食べ物です。

テーブルの上には半分ほどのスペースに調味料や新聞・広告などが置かれ、そこにいつも食パンやお菓子がありました。

冷蔵庫には牛乳、ヨーグルト、ジャム、レトルトのおかず、しょうゆ、マヨネーズなど基本的なものが入っていました。

それらが全くないのです。

日頃ストックしていたインスタントラーメンもそうめんも、乾燥ワカメもありません。

テーブル、冷蔵庫、引出し、シンク下、吊戸棚…どこにも何もありません。

冷凍室には氷すらありませんでした。

つい昨日まで人が生活していたとは思えないほど何もないのです。

「買い物は、けがをしないよう自転車を引いている」と言っていたのはいつ頃だったか‥

電話をしても最近は出ないことが度々ありました。

安否を心配して何度もかけ直して、やっとつながると「駐車場を箒ではいていた」と。

同じ返事が返ってくるのに、「毎回同じだね」という意識がない。

いよいよ早く病院へと思っていた矢先でした。

お隣の奥様の言葉が蘇ります。

「春ごろからだったかしら‥どうされたのかなと思っていました」

もしかしたら同じ時期にだんだん買い物が滞るようにり、そのうちに家の中にあるもので食いつなぎ、とうとう何もなくなって倒れていたのか‥

あの家の中の状況は、母の現実を一瞬で教えてくれました。

あの日見つけていただかなければ、どうなっていたかということも。

到着した電車に乗り込みガラガラの座席に座ると、紙一重だった今回の出来事と大きく一歩前進できたことに感謝しかありませんでした。

  

  

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