私の『内なる卑屈さ』にお別れ‥これでまた1つ身軽になれました

あれこれ

元日にポッペと行ったフレンチレストランでの出来事。

あの日は、丸の内全体が閑散としていました。

ホテルのメインエントランスを入り、エレベーターに乗ります。

そのエレベーターは、レストランの1つ下にあるフロントロビーの階までしか行きません。

乗り継げばいいんじゃない?と降りたエレベーターホールには、サッと見た所その案内が見当たりませんでした。

ひとまず右方向にしか進めないので広い通路をそちらへ歩いて行くと、正面に何かの会場の入り口とテーブルに乗った樽酒が見えました。

こちらで良いのかな?と一瞬戸惑っていると、その会場前に立っていたホテルマンが私達に気づき近づいてきました。

ポッペがフレンチレストランの名前とそこへ行きたい旨を伝えると、乗り継ぎのエレベーターは会場前を横切って左に折れた先と教えてくれました。

そのホテルマンはアラサーといったところ。

最初私達に気づいたとき、近づいてくるとき、私達の目的を知ったときに、微妙な物腰の違いがありました。

  

私は幼い頃から、話す相手の言葉だけを聞くということができませんでした。

相手の言葉そのものよりも、その声色や言葉が出てくるまでの空気のようなもの、表情や物腰から発せられる様々な情報を一気に感じてしまうような気質でした。

時にそれは私を救ってくれたり、逆に苦しめたりしました。

幼い頃は大人びた子どもだったと思います。

成長して思春期、青春時代を通して、両親はじめ周りの大人たちの『本心を垣間見た』と思うことが多くありました。

この歳になって、自身のそういう気質の扱い方をある程度身につけられたと思っていました。

  

さて、そのホテルマンです。

エレベーターホールから歩いてきた私達から見ると、広い通路はまず会場に突き当たり、カギの手に右方向へ伸びているようでした。

ホテルマンはその右方向からやって来る人を迎える態勢で、身体ごとそちらを向いて立っています。

視界の端に私達を認めたのでしょう。こちらを向いた時「こっちから?」というように一瞬動きが止まりました。

その後もう一度前方の様子を確認、瞬間ためらった後、少し足早に近づいてきます。その判断までほんの1秒ほどです。

「何かお困りでしょうか?」というような内容を問われ、ポッペが説明します。

私達の目的を知ったとき「あ、そういうことか」と表情が晴れて案内をいただきました。

エレベーターを経由するために、この会場前を通ることを想定していない様子だったので、レストラン直通のエレベーターがあったのかな‥とよぎりました。

帰る時に分かったことですが、エレベーターは間違えていたわけではなく、その時間には晴れ着を着た女性がホテルの滞在者に樽酒をふるまっていました。

  

教えていただいた通り乗り継いで、1つ上の階で降りるとすぐそのレストランがありました。

入り口付近が少し雑然と見えるな‥という印象です。

受付の女性に案内され中に入ると理由がすぐわかりました。

クロークが臨時に作られているような感じでパイプハンガーが並び、数人で対応していたからでした。

ポッペがコートを手渡して、掛けてもらっている間に私もコートを脱いで待ちます。

対応してくださった熟年のホテルマンは、ポッペののコートを受け取って掛ける間、待っている私に「○○さま、あけましておめでとうございます。」と言って、言い終わった丁度のタイミングで私のコートを受け取りました。

この滞りのない流れがプロを感じさせ、信頼感を覚えます。

案内された席は大きなガラス張りでお天気も良く、長く続くテラス席越しに丸の内のビルや東京駅が見えます。

しばらくして若いウェイターが来て、メニューを手渡しながら小さな声で棒読みのような説明を始めました。思わず顔を見上げてしまう程なおざりな印象です。

その様子は明らかに面倒そうで、ポッペが本日の魚を尋ねても、気力もなく、体調が悪いのかと思う程です。

ポッペとメニューを決めて再びそのウェイターが現れオーダーが終わった頃には、そのウェイターが私たちに関心がないという印象だけが残りました。

お料理が運ばれるまでの間、私はウェイターの残していった空気に呑まれているようでした。

ポッペと少し会話をして景色を見て、また少し会話して‥

ポッペ
ポッペ

ポヨ、元気ない?どうした?

ふと考え込んでいたのか、ポッペが心配しています。

 ポッペ
ポッペ

さっきのウェイター?感じ悪いよね

なんか、態度というか様子がサ‥元日せっかく来たのに‥

ポッペ
ポッペ

それ!なんか不満でもあるんじゃない?

私はその言葉にハッとしました。

ポッペはウェイターの態度を、『ウェイター自身が何か不満があってやる気がない様子』ととらえていました。それは、私にはまったく無い発想でした。

私は‥考え事をしていたのではなく、過去の似たような出来事が古い写真のようにランダムに浮かんでは消えていくのを、ただ眺めていたような感覚でした。

ずっと昔、子供だった私と両親が外出した際に経験した、似たようなシチュエーションの記憶です。

幼い私は、あからさまな場合だけでなく、その時々感じた空気や態度を『相手の私たちに対する本心』と受け取っていました。

ウェルカムで迎えられない空気の記憶。

受け止めた空気は、幼いモノサシや未熟な経験でしか分類できなかったのに‥

それを『本心』と一方的に感じてしまっていたのだな‥

これもまた、気づきなのですね。

人にはそれぞれ懸命に生きている背景があり、自分の身の回りのことに気を配り、自分の大切な部分となんとか折り合いをつけて毎日過ごしている‥

そんな当たり前のことを、改めて思った元日でした。

  

お料理が運ばれてくるころには、一連の出来事や通り過ぎた古い記憶は拭い去られました。

元日から一週間。

自分の内面をふと思った私なのでした。

  

  

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