私は今58歳です。
その人生の前半にあたる30歳までは実家で父母の一人娘として、後半は配偶者と結婚し、妻・母として生きてきたわけです。
摂食障害は母親との関係が大いに影響していると聞きます。
きっかけは確かにそうでした。
前半の人生は「ノーマルではない家庭で自己主張の激しい母親に引きずられるように生きていた」というのが近いでしょうか。
思春期には日常的な抑圧と私の自我がせめぎ合い、私自身も常に身構えて尖っていました。
過食として現れた摂食障害は20代半ばが始まりです。
でもそれは今から思えば入り口に過ぎませんでした。
結婚して、ここから後半の人生の始まりです。
結婚後、娘(ポッペ)を出産するまでは、さすがに吐くことはありませんでした。
でも結婚と同時に始まった義父との同居生活は、私には想像以上にストレスフルでした。
初めての出産についての義父と配偶者の会話、出産後の育児についてなど抱えきれない混乱で再び始まった症状は一気に悪化していきます。
過食した後に吐く。右手には吐きダコができ、体重が目に見えて減っていきました。
しばらくして転勤が決まり義父と離れても一向に治らなかったのは、原因が同居のストレスだけではない事を教えてくれます。
その頃から配偶者の借金が相次いで発覚。《裏切りシリーズ》で書いた頃です。
ポッペが2歳の時、私の父親が亡くなりました。
ハンディを持った父と、実母C子さんとの二人三脚は終わりました。
ここからC子さんの20年にわたる一人暮らしが始まります。
その間、私自身も2人の子の母として、妻として、ありきたりながら悲喜こもごもの日常があります。
年を追うごとに「子は慈しみ愛されて育てられるべき」という思いは確信となりました。
幼い頃から追い求めていたものはそれだったと。
人間としてC子さんを距離感を持って眺めるようになりました。
そして自分の行為が子どもに連鎖するという記事を読んで、付き物が取れたようにパッタリ吐かなくなりました。
15年ほど症状は出ませんでしたが、実は2年ほど前から時々ぶり返していました。
そうです。
配偶者に「別居だな」といわれて受けて立ったあの瞬間から。
あの後私の身体の中では、さなぎの中身のように大変化が起きていきます。
それまでの常識の枠を超えて自分の生き方・価値観も揺さぶられていくのです。
ブログを始めたことで過去を振り返り、自分を見つめ直し、配偶者の行為の意味を考え、子ども達の成長と内面の変化をたどっていく。
私のキャパを超えた時、再びトイレに助けを求めていました。
今までこの症状が出るときは私のこころが抱えきれなくなったときでした。
でも今のそれは、吹き出物のようなもの。
私には最後のデトックスのように感じます。
このブログを始めたころは遠距離介護のことを書きながらC子さんとの関係を振り返りました。
昨年末あたりからは卒婚について書き始めました。
そして気がついたのです。
私がなぜ配偶者と結婚しようと思ったのか。
C子さんとの関係は決して幸せなそれではありませんでした。
話し合う、理解する、思いやる、認め合う‥そんなことが全くできない人間。
早く逃げたかった。
それなのに、まったく同じ部類の人間を配偶者に選んでいたのでした。無自覚にしても。
なぜか。それは処し方がわかっていて落ち着くから。
それがあのころの私は、安心できる、分かり合える、共有できる‥と感じたのでした。
そしてこの2人の共通点は「話しても意味がない」「自分の快不快で判断する」ということです。
私の58年間の前半は「親という絶対的な立場」(と本人は思っている)C子さんとの関係。
後半は「養ってやっている絶対的な立場」(と本人は思っている)配偶者との関係。
前半については、C子さんが特養に入れたことで一応の決着はついています。
10月4日。independence day。
いよいよ今までの後半の人生に別れを告げる、記念の日です。
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