9月も中旬に入って、東京は少しずつ秋の気配を感じます。
早いものでそろそろ1年になるんですね。
昨年の今ごろ、休日はフル回転で出ていく準備をしていました。
本、衣類、靴・カバン、アルバム・・・
持っていくものは最小限に厳選して、それ以外の私物は処分していくのです。
ひな人形や五月人形は供養に出し、本やDVDをブックオフに売り、着ない服をゴミに出します。
私も今後の生活に必要なもの以外、全部処分したよ。
残してきたのはベッドと学習机くらいだよね。
その間相手方は何も気づいていませんでした。
ダイニングの本棚からごっそり本が消えても、廊下に段ボールが置いてあっても。
準備が滞りなく進んだのも、相手方が家族に関心を向けていなかったのが幸いしました。
サイドボードにウィスキーがあったよね、私が生まれた時に買ったとか言う。
いつか父親とそれを飲む日が来ると思っていたんだ。
ボーの瞳に一瞬、望郷のような色合いを見たように感じました。
自分に関心を向けない父親を、高校生くらいまでは「極めて不器用な人だと思っていた」
社会人として人並みの出世をしていた父親は「もうちょっとマシな人だと思っていた」
ゼミ選びで口を挟んできたときも「まさかあそこまで酷いとは思っていなかったよ」
と、冷静に話すことはあるのですが。
この日は少し違っていました。
珍しくボーが〝期待をしていたこと〟を話し始めました。
いつか自分が社会人というものになれたら、その酒を酌み交わして…
そう漠然と思い描いていたけど。
そんな日は永遠になかったね。
父親から全く関心を示されなかった子供時代と、手のひらを返したように干渉してきた大学時代。
これは矛盾ではなく、父親が自己実現の追体験をしたがっていただけと看破して以来、ものごとがハッキリとしたそうです。
自分にしか関心が無いのに、自分自身を語ろうともしない父親。
私も何度も試みたんだ。
父親と正面から向き合って話そうとぶつかったよ。
でも、避けるんだ。
今から思えば、向き合うのを避けているという意識すらなかったと思うと。
自分の快不快で判断する父親にとっては〝歯向かってくる、うるさい奴〟
きっと父親は若いときから自分自身を見つめる作業をしてこなかったんだろう、だから理解できないのだろうと。
折々に感じて来た違和感は、いつか確信となり結論は出たそうです。
とにかく全てをつまらなくする人。
話し甲斐のない人だ。
サイドボードのウィスキーを思い出しているときに見たボーの瞳の色は、私の気のせいだったのかもしれません。
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