先週末、娘のポッペが泊まりがけで遊びに来ていました。
これからお互い繁忙期が始まると暫く会えなくなるからと、金曜日の夜来てくれました。
私も仕事がある日で、夕食はササッと用意できるもの。
ワインを飲みながら楽しい夕食となりました。
3人で散々たわいのない話をして笑ったりしているうちに、ふとポッペがつぶやきました。
もしずっと前から3人家族だったら、どうだったかな‥
そして、すぐ冷静に続けます。
私たち3人がこんなにいい関係でいられるのは、今だからこそ。
いろんな意味でね。
それはもう、わかってるんだ。
それでも子どものころ、もしこの3人だけの家族だったらって。
あ~~夕食が楽しい。
こうやって笑いあってくつろいでさ。
前はつまんなかったもんな、マジで。
そして、こう続けるのです。
子どもの頃たまに家族で出かけても、楽しいと思ったことがなかった。
いつも父親のしたいコトにつきあわされただけで。
3人でいたら、ずっと違っていたと思うよ。
私自身も〝もし〟を想像していました。
もし私に自立できるくらいの経済力があったら、どうしてたかな‥
3人だけの生活を選んでいただろうか。
ありもしないパラレルワールドです。
でももし、お金の心配がなかったとしたら・・・
それでもポヨは別れなかったと思う。
だってポヨにとって〝普通の家庭〟は一番大切だったもん。
やっぱり一生懸命壊れないようにしたと思うよ。
そうなのかもしれません。
私の〝夢の宝〟だった普通の家庭。
結婚し子ども達も生まれて、やっと自分は幸せを手にすると思い込んでいました。
でも正直なことを言えば、結婚直後からあった違和感の数々。
同居から始まったことで一度にハッキリ見えたのかもしれません。
核家族になればという希望も残っていました。
でもそれは甘い幻想でした。
配偶者の金銭問題の発覚、子ども達への接し方。
家族とは、家庭のぬくもりとは‥
這いつくばって手探りで出口を探すような、そんな毎日だったと振り返って思います。
相手方が私との約束を反故にしてお金を使い込んでいたのを知った時。
それが家族としての分かれ目だったように思います。
あの当時収入のない私には、普通の家庭という家族の形は捨てられない。
決定的な違和感を封印して現実を取り、希望は幻想となっても〝安定〟を選んだのです。
その時もし私に自立する十分な収入があって、子ども達に不自由させることが無かったら・・・
私は別の道を選んでいただろうか。
一瞬、ポッペはそういうけれど私は別の道を選択すると思いました。
自分に自信を持てていれば、あの言動に見切りをつけているのでは?
でも少しして、思い直しました。
やはりそれは今の私だから思うことなのでしょうね。
私自身が物心ついた頃から満たされなかった家庭の温かさ。
それは家族の形がイビツなことが最大の原因と思っていました。
普通で温かい家庭。
それを叶えるために必死に家族の形を繕ってきたけれど、それは見当違いでした。
家族の形が普通であること、それはこころを満たすのに必要な条件などではありませんでした。
私が半世紀以上求めていたのは〝家族愛〟でした。
自分の家庭を持ちながらも、それが満たされないまま4半世紀が過ぎ、自分の手で終止符を打った途端に真実が分かりました。
お互いを慈しみあう。
いま子ども達と本当の家族愛で結ばれていることに、こころから感謝します。
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