先週はずっと気分が沈んでいました。
第2回目の離婚調停。
その準備のため、過去を振り返る必要があったのです。
調停中はスマホやパソコンを出しておくことが出来ません。
取り出して見ることはできますが、基本は紙ベースです。
この結婚生活をなぜ終わりにしたいのか。
客観的な事実を手元に用意して、一目でわかるようにしようと思いました。
新しいノートの見開きに、結婚からの年表を作ります。
結婚、娘のポッペ誕生、東京へ引越し、息子のボー誕生、、、
その隣の列に、時系列で相手方が私に隠れて家のお金を遣いこんでいった金額を書いていきます。
客観的な事実だけを要点のみ。
書き終えたとき、そこには28年間の出来事と負の記録が現れました。
この年月の軌跡をたどっていくことは、同時にこころの追体験になっていました。
本来、子ども達の成長と共に親と子の関わり方は徐々に変わっていくものです。
成長期、思春期、受験期と形を変えて、尽きることのない子ども達の不安や悩み。
ポッペやボーと一緒に悩み、考え、時に涙したどの場面にも相手方の姿はそこにありませんでした。
常に希薄な相手方とのつながりと、断続的に表面化する金銭トラブル。
〝幸せな家庭〟のかたちを守るために、渦巻く不審や不満にフタをしている私。
まるで並べられた絵画をひとつひとつ観ていくように、象徴的な場面が浮かんでは消えていきます。
今から思うとだけど‥あの頃のポヨの様子は、スカスカのへちまに〝おくるみ〟を着せて、赤ちゃんだと思い込んで一生懸命あやしているようだった‥
壊さないようにと大切に守っていたものは、本当の〝幸せな家庭〟とは程遠いものでした。
「結婚当初、私と相手方は似た者同士だったのか」
今でこそ、価値観・考え方・大切に思うこと・幸せに感じること‥
どれもがまるで天と地ほども違っていることが分かります。
それでも30年ほど前には結婚しようとまで思えるものが確かにあったのです。
私も所詮〝同じ穴のムジナ〟なのかな・・
当時紹介で出会ったとはいえ、結婚相手として〝待った甲斐がある〟と思っていました。
大きな声のリーダー的資質、おおらかな態度、礼儀正しさと親しみやすさの塩梅。
実家の状況や一人っ子同士だったことなど、似ていたり共通点が多いところも。
でも、その頃から度々感じた〝ちょっとした違和感〟。
それが結婚と同時に始まった舅との同居で一気に表面化していきます。
社会人として見せていた姿とは印象の違うプライベートでの様子。
舅と相手方が話している空気感は、私にとって少なくとも居心地の良いものではありませんでした。
結婚前に「始めは同居するがすぐ東京転勤が予定されている」と聞いていなければ、堪えられない時間が1年半ほど続きました。
確かに〝標準的ではない家庭〟という意味で、両家はつり合いが取れていたと思うよ。
でもハッキリ言って親戚を見てもタイプは全然違うよね。
「結婚したんだからいいだろう」
私が意を決して不安を訴えると、相手方は決まってこう言っていました。
当時はその意味がよく分からず何か釈然としないまま、それ以上言えずにいました。
今から思えばこれこそ、私と相手方の大きな違いの象徴でした。
結婚で2人の新たな人生が始まると考えていた私。
結婚で自分の人生に新たなメンバーを加えたと考えている相手方。
2人で築き上げていく新しい家庭を夢見ていた私は、この決定的な違いに気づきませんでした。
そして相手方は今でも、その違いを理解できないでしょう。
相手方は誰よりも自分が一番優先。
常に他人と比較して、優越感を感じると満ち足りた様子をしていました。
誰かの成功や賞賛には必ず何か〝大人の事情〟があり、「世の中とはそういうものだ」と訳知り顔で話すのです。
言うまでもなく、私にとってポッペとボーは一番の大切な愛する存在です。
そして今までもこれからも私の人生にとって重要なのは、本質的なこと、自由、本物の愛です。
幼少のころからずっと、結婚してもなお、それが満たされなかったから、今まで苦しかった。
努力すればいつか手にできると信じていたけれど、この結婚は年月を経ても何も変わりませんでした。
夫婦として、自分にできることは全てやりつくしたタイミングで投げられた〝別居〟という言葉。
私の中で〝離婚〟は自然に導かれて出た結論です。
「自分の中にも嫌っている相手方と共鳴する部分があるからこそ、結婚したのではないか。」
遠い過去を振り返っては、ナーバスになっていました。
独身時代の私には、似たような何かがあったのかもしれません。
でも、いま違うならもう良いではないか。
約30年もかけて私が今の私になり、相手方も今の相手方になった。
そして今、全く違う方向を向いて生きているのなら、もう一緒にいる意味はないのです。
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