薄れっちまった過去の幻影

卒婚

11月も半ばになって東京もやっと晩秋を感じるようになりました。

軽めのコートを着てもおかしくない気温。

これさえあれば、

中がどんな格好でもバレない

休日は起きるのが遅いので、ほぼ半日はパジャマみたいなものです。

顔を洗いながら今日の予定を考えます。

買い物に出かけるならそれなりに、出かけないならいい加減に着替えるわけです。

余程のことが無ければブランチ用にパン屋さんにだけは行きたいんですね。

今日もお昼近くにのそのそと支度をして出かけました。

  

日曜日とあって商店街もそこそこ人が出ています。

小ぢんまりした店内にはお客さんが2人、ショーケースを眺めていました。

今日も美味しそうなパンが目白押しに並んでいます。

お決まりでしたらどうぞ~

奥から声がして先頭のお客さんがオーダーします。

私は買いたいパンが並んでいるか確かめて、あと1つ甘いパンをどれにしようか迷っていました。

  

そこへ入り口から大きい声と共に人が入ってきました。

「こゆ~いコーヒー淹れてサ、いっちょ頂こうじゃない」

若い声なのに、どこか古めかしい言葉遣いです。

連れに話しかけている様子ですが、相手の声は聞こえません。

先頭のお客さんが帰って2番目のお客さんはすぐにオーダーし始めました。

私はまだ決めかねていたので

まだ決まっていないので、良かったらお先にどうぞ

と入ってきた2人の後ろに移動しました。

声の主はアラサーくらいの男性で、連れは女性でした。

あ~僕もまだ決めてないんっㇲよね~

どれにしよっかな~

この前はこれだったから‥

え~と、じゃ、今日はメロンパンで

そう言って連れの女性に「どれにするの?」と聞いていたようです。

女性は小さい声で「どうしようかな‥」と言って少し考えて

ブルーベリーのベーグルお願いします。

すかさず男性が女性の方を向いて

ベーグル!健康的だよね~

終始ゴキゲンな話し方です。

女性は頷いたりしたのかもしれませんが大人しいのか返事は聞こえません。

私は自分の甘いパンをどれにしようか選んでいたので、そんな様子を聞くともなく聞いていました。

ブルーベリーのベーグルですね。

〇〇円になります。

そこで初めて、この男女は別々に会計していることに気づきました。

私はなんとなく勝手に「新婚さんかな」なんて思っていたのです。

パンを買って帰って「こゆ~いコーヒー淹れて」

でもちょっと勘違いだったかも。

そして終始ハイテンション気味の男性と、どこか一歩引いた感じの女性の雰囲気。

私はパン屋さんを後にしながら、さっきの出来事に触発されて自分の過去を思い出しました。

結婚したばかりの頃。

どこへ行っても自信ありげな相手方の様子が時折恥ずかしく少し嫌だったんです。

初めての場所でも大きい声で話すことに抵抗のない「自分は受け入れられる」という確信からくる余裕。

確かに私の伯母などは初対面の挨拶をしただけで気に入ってしまったほどです。

若い頃はそこに独特の愛嬌があり、それが人徳というものかと思っていました。

「愛されているんだ、俺はな。」

私には1ミリもないその思考回路に、得体のしれない違和感と私には真似できないという一種の畏怖のような感情を抱いたものです。

  

でも長い年月の間にその自信に満ちた振る舞いは徐々にメッキが剥がれ落ちていきました。

若さで補われていた部分は、相手方自身が補っていたのではなく周りがそれをなんとか許していたにすぎないという事が分かりました。

誰もが長い年月をかけて自分の歩む道を模索していく中、足元を見つめる事すらしないまま過去の良き日が永遠に続くと思っていたのでしょうか。

夢から覚めた相手方は離婚を突きつけられ、玉手箱を開けた浦島太郎のように状況を理解できていないのかもしれません。

  

こんなことを考えているうちにマンションに着きました。

変なこと思い出しちゃって、あの若い2人に悪いわ。

なんの関係もないお2人には迷惑な話です。

私の頭の片隅に古いプロジェクターで映しだしたような薄ぼんやりした過去の光景。

今の私にはそこに見た若い男性も女性でさえも、もはや知らない人物のように感じたのでした。

  

  

  

  

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