これは私自身のことではなく、息子のことです。
今年度、大学の最終学年。
本当なら今年の春に卒業するはずだったけれど叶いませんでした。
ゼミの教授と折り合いが悪く、卒論を落としてしまったのです。
他の科目は全て単位を取得していながら、それだけが足りませんでした。
「バイトで学費を賄うので大学にいかせてほしい」と頭を下げられました。
幸い学費は半額で済むとはいえ、恥ずかしながら私にはその頃余裕がありませんでした。
別居直後でまとまった出費が相次いでいたのです。
弟の窮地に姉が学費を貸すと言ってくれました。
そんな経緯であと1年、大学生を続けることになったのでした。
狭いマンションに同居しているので、余計な事を言わないようにしていました。
当然ながら、一番悔しいのは息子自身ですし。
大学の話は全く出なくなりました。
春から、新しく始めた事務のバイトに毎日出かけていきました。
長い夏休み期間が終わり秋学期が始まったころ、私もさすがに様子が気になります。
教授のこともゼミの内容も何もわかりません。
聞いてみたところで余計な事‥でもやっぱりと思い直しました。
早めに教授にコンタクトを取ってね。
言葉少なに「分かった」と返事がありました。
そして暫らくはそっとしておきました。
気付けば秋も急に深まって、漠然と〝〆切り〟が間近に迫ってきたように感じました。
今現在の様子を正確に知ろうとしないで、後悔するような事があってはいけないと思いました。
一方で、息子を信頼しているなら黙って見守る方がいいとも。
しばらく葛藤の日々が続きました。
私自身、離婚訴訟のモヤモヤで気持ちがナーバスになりがちでした。
気付くと考えている時間が増え、考えまいとしても意識することで返って逆効果でした。
その教授にとって息子は、どんな存在なのか。
最悪の事態が頭をよぎります。
現状を把握できていないことが妄想を生む、負のスパイラルに陥っていると自覚しました。
自分のために、教授からちゃんと返事は来るのか聞きました。
すると「ちゃんとやり取りはしている」と言いました。
心配かけてごめん
今年も、もうあと1カ月余りで年の瀬です。
「もう大人になって久しい息子に、私から言えることなど何もない」
そう思ってはいても、去年の悪夢がよみがえって胸のあたりがズシッと重く苦しくなります。
せっかく努力して入った大学。
真面目に単位も取得してきたのに。
人づき合いが苦手な上、担当教授と折り合いが悪いという致命的な状況。
考えれば考えるほど、困難さだけが浮き彫りになって焦燥感でから回ってしまいます。
あれこれ考えてみては最終的に「考えたって仕方ない。もう寝よう」となるのです。
そんな時はそれまで集中していた脳がマボロシを見せるのでしょうか。
「卒業おめでとう!乗り切ったね!」と3人で喜びあっている様子が浮かんできます。
切なる願望、3人で分ち合う喜び。
予知夢だったらいいな。
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