自分にとって重荷に感じる人間関係って少なからずありますよね。
DVや虐待のように深刻なものではなく。
ざっくり言って〝つまらない人〟との関係です。
始めからつまらないと感じていれば懇意になることはありません。
そうじゃなかったのに…というような関係です。
人とのかかわり方は十人十色。
同じ人でも年を経るにつれて、人との距離感は変わっていくものかもしれません。
一般論は学者さんや有識者の方たちにお任せして、私の個人的な体験なんですけど。
私自身は子どものときから友達の人数は少ない方でした。
付き合い方もグループでというのは高校生まで。
以降は数人の友人と個人的な付き合いになる傾向が強かったと思います。
ママ友も数人できました。
その内の1人は元々専業主婦で、時間にゆとりのある奥さまです。
価値観が似ている所があって、時折り一緒に外出したりお茶したりしていました。
お互い子どもは2人いて、どちらも同い年とあって話題は専ら受験や学校のことでした。
でもその話題は、子ども達の受験が終わったころから変わり始めます。
どちらかと言えばいつも聞き役だった私。
彼女の話がいつしか私には興味のないことに終始していることに気がつきました。
それは単なる違いでしかないけれど、会う度に違和感がのこるというか。
ちょうどその頃、私の生活が一変。
相手方が退職、私は契約社員としてフルタイムで働き始めました。
その後の経過はご想像通りです。
私自身に起きている大きな変容を、彼女に話したいとは思いませんでした。
同じように彼女にとっても私の存在は、いつしかつまらないものになっていたのかもしれません。
価値観が合うと思っていた頃から時折り感じていた違和感は、案外大きな違いだったようです。
お互いに連絡を取り合うことなく、私は引越しをして自然消滅しました。
私と相手方の場合も根本的には同じことだったのかも。
結婚を決めるとき運命を感じるほど似ていると思ったのは、今から思えば条件的なこと。
それが結婚には案外ウェイトが大きくて、重要な事と思っていました。
そんな自分にとってつまらなくなってしまった関係を手放すと決めてから、私の人間関係は信じられないほど好転していきます。
弁護士のH先生、この家を紹介してくれた親切な不動産会社のOさん。
このお二方との出会いが今の生活に繋がったことは間違いないでしょう。
引越しに関わる全ての場面で担当者の方々に恵まれました。
一見不運に感じるようなことがあっても、返って後から幸運のタネになっていたり。
そして職場の人間関係も何故か自然と好転していきました。
その頃から仲良くなったYさんに、後になって家庭のことを話したとき聞かれたことがあります。
ポヨさんがこのチームに来たとき、ご家庭では佳境に入っていた頃になる?
私の発する雰囲気のようなものが、今とは違っていたようです。
正に相手方との関係を私が決断する直前でした。
加えて前の部門では職場環境も仕事内容もストレスが多く、配置転換を希望したのです。
暗いトンネルの出口から飛び出した途端、何もかもが変わっていきました。
公私ともにストレスフルな関係にがんじがらめになっていたあの頃。
つまらなさを感じてはいても「つまらない」ことを自覚するのって案外難しいです。
職場も家庭も友人関係も「今の関係を手放そう」と思えるまでに時間がかかりました。
特にその関係性が大切であれば、こころに蓋をして見ないようにしてしまう。
その場に踏みとどまって何とかしようと思ってしまうのです。
でも今から思えば、それはもうサインだったのですね。
サインは「自分の居場所は他にある」と教えてくれていたような気がします。
先を案じていたら、きっと決められなかったでしょう。
考えるより先に感じたままに踏み出したとき、案外正解を見つけられるのかもしれません。
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