今月から、私たちの職場に復帰した女性(Aさん)がいます。
30代のAさんは、2年ほど前の春に出産を控えて職場を離れました。
双子ちゃんということは皆も聞いていて「体調に気を付けてね~」と送り出したのです。
コロナも落ち着いてきて、保育園にも行けることになったので戻ってきてくれました。
偶然にも復帰した当日が、双子ちゃんの2歳の誕生日と聞いてビックリ。
なんだか新たな出発って感じで。
今年は保育園に受かって良かったです。
その日たまたまお隣の席になり、仕事の合間に〝久々トーク〟です。
本当は1年前に復帰したかったそうですが、保育園の空きがなかったとか。
双子ちゃんなので、まとめて2つ同時に空かないと申込むことが出来ません。
昨年「1つだけなら空いたのですが」って言われたんですけど。
他の所で空きがあっても、双子を別々に入園させるのはかわいそうですし‥
それに送り迎えだけでも相当な負担ですよね。
保育園によって方針や時間、持ち物なども微妙に違うでしょうし。
それでも兄弟だと別々になることも珍しくないなんて、大変すぎます。
Aさんの場合、申込む段階では1歳児だったことがラッキーだったとか。
保育園ごとに状況は違うのでしょうけど、そこでは2歳児枠は競争が激しかったのだそうです。
今日お母さんと離れる時、拍子抜けするほどご機嫌が良かった双子ちゃん。
慣らし保育など時間をかけて準備をしたそうです。
ご夫婦で力を合わせて双子ちゃんの世話をしていると、毎日があっという間というAさん。
〝夫婦で子育て〟が普通になってきたんだな~と感慨深いものを感じます。
話を聞いているうちに思い出したことがありました。
まだ前の住まいにいた時。
最寄り駅前のショッピングモールに調剤薬局がありました。
買い物ついでに薬をもらう人が多く、いつ行っても30分は待たされます。
その日も待ち時間があり、時間をつぶすのも面倒でその場で待つことにしました。
他にも待っている人が数人いて、私は赤ちゃんを連れた女性の隣に座りました。
まだ1歳くらいの赤ちゃんはご機嫌がよく、愛らしい様子に思わず笑みが出てしまいます。
不躾にならないように、時折目線だけで〝赤ちゃん〟を感じさせてもらっていました。
赤ちゃんはお母さんらしき人の腿の上に小さな足で踏ん張って立っています。
お母さんと向き合って、両脇を支えてもらっています。
トントンと足踏みのように動かしたとき片方の足が滑って私の足に当たりました。
あ!すみません!
すかさず言ってくださったことが申し訳ないくらい、ただの接触と言ってよいほどのことです。
「気にしないでください」的なことを言った後、黙っているのもナニかなという気持ちになりました。
可愛いですね~。どのくらいになられるんですか?
もうじき1歳になります。
鼻水がひどくて‥
ふと、沈黙があってから少し思いつめたように
なんだか預かりものをしているようで‥怖くて‥
大丈夫ですよ、大丈夫。
反射的に言葉が出たとき女性はハッとしたように私を見上げ、その刹那、私の遥か昔の記憶が甦りました。
まだ娘のポッペが赤ちゃんの頃、初めての育児に自分で自分を追い込んでいるような日々でした。
場所は何処だったか、もう覚えがありません。
ただどこかの待合室のような場所で、ポッペを抱いて座っていました。
すぐ隣に年配の女性が座って、話しかけられました。
「女の子はいいわね。私は男ばっかりだったから」というようなことから少しお話しをしました。
そして私が少し自嘲気味に「自分が親としてやっていけるか不安で」というと即座に「大丈夫よ、そんなの。だいじょうぶ!」
その少しのブレもない確信に満ちた言葉にハッとして、こころが癒され励まされたのです。
すっかり忘れていた古い古い記憶が、目の前の女性の表情にリンクして突然現れました。
この女性は、かつての私だ‥
がんばって‥大丈夫、もっと楽に考えて大丈夫だから。
改めて若かった私にもエールを届けるように、こころの中で念じました。
そして人生の不思議な巡り合わせと、役割の循環を実感したのです。
お昼休みを終えて席に戻った時、隣のAさんが話しかけてきました。
ポヨさんのお子様は‥というか、もう成人されてるんですよね!
長い間の子育て終わられて、本当にお疲れさまでした。
双子ちゃんの子育て真っ最中のAさんから、私の子育てを労ってもらえるとは!
人生は循環であり、終わりのない学びの場と再認識したこの頃です。
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