前回の話で娘のポッペが、「君には品がある」と言われたというあれ。
正確には「品が無さそうに見せているけれどーーー」と言われたのでした。
べつに見せているわけではなくて、そんなもの無いんですけど。
「誉め言葉のつもりなのかなと思った。」とポッペは話していました。
きっとそうでしょう。
そもそも親である私も相手方も、当時の感覚でいえばイビツな家庭で育った者同士。
上品な人々の生活など知ろうはずもありません。
その両親に育てられたのですから‥。
ポッペの話を聞きながら、なぜか私の頭の中は一瞬昔の記憶がよぎりました。
10年以上前、私は東京に来てまだ数年です。
当時私が働いていた職場には、いわゆる〝奥様〟が多くいました。
おしゃべりの話題は、当時の私には縁のないできごとばかり。
それは、私が憧れていた〝幸せな家庭〟の雛型オンパレードのように見えたものです。
立派な配偶者、お子様方は入園前からお受験対策。
お取り寄せの銘品や、毎年の海外旅行。
今なら華やかなインスタを見続けているような世界でした。
5年ほど働きましたが、郷に入っても郷に馴染めないまま退職しました。
ポッペの話を聞いている時、なぜかその当時の自分を思い出したのです。
仕事は好きだったけれど、永遠に馴染めない異物の自分。
あの頃は、ずっと自分の居場所を探し続けていました。
今から思えば、単に住む世界が違うだけ。
でも、当時の私には知る由もないフィールドへの憧れと自分との距離に打ちのめされていました。
そのやるせないような気持ちが甦った瞬間、私の口から言葉がついて出ました。
品なんてないけれど‥
でも品格を失わずに生きてきたわ、ずっと!どんな時も!
その言葉を自分自身で聞いて、思わず涙ぐんでしまいました。
品格という言葉の、正しい意味になるかは分かりません。
私の気持ちに一番近い意味は、自分を見失うことなく毅然と耐えてこられたという意味です。
ポヨは絶対そうなのよ。
でも私の場合はちょっと違うと思うんだよね。
ポッペのことは自分でそう思うなら、そうなんでしょう。
健全でポッペが幸せな選択をしてくれるならば、それが正解です。
でも、私自身がこの話にこんなに反応してしまうとは、自分でも意外でした。
不本意な環境や人間関係など、負の感情を持たずにいられた時間は今までどのくらいあったでしょう。
それが〝期間〟と言えるほど続いたのは、別居後の半年間だけだったかもしれません。
結婚以来、私は「今が一番幸せ!」と口に出していうことがありました。
もちろん、こころからそう思っていたけれど‥。
過去と比較していたからこそ出てくる言葉だったのですね。
そういえば今はこの言葉をもう言わなくなっていたのです。
別居以来、ちょうど半年間。
毎日毎日小さなことから別居そのものについても、事あるごとに感謝、感謝、感謝。
感謝の気持ちしか出てきません。
その陰に、「自分は今までずっと品格をもって生きてきた」という自負があったとは。
生まれてから別居までの58年間。
子供時代も含めて、負の感情に圧し潰されそうになった時は何度もありました。
あと1歩を超えずに踏みとどまれたのは「この相手のために自分の大切な一生を犠牲にするわけにはいかない。」という理性でした。
「私は必ず幸せになる、その権利がある」という信念が自分を救いもし、縛ってきたのも事実です。
その〝幸せ〟の形は当初想像していたのとは違っていました。
でもこの自分の理性と目的のおかげで、今の生活を手に入れられたと感謝しています。
「今が一番幸せ」という言葉にも感謝をもってお別れしたいと思います。
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