配偶者が退院して改めて思うこと、私が大切と感じ望む幸せとは?

卒婚

配偶者が退院しました。

前日、家族LINEに予定通り帰ると連絡がありました。

12泊13日間、このLINE以外一度も連絡を取り合うことはありませんでした。

  

聞きたくない音や見たくない光景に煩わされない日々。

そういう、いわば私が私のままでいられる生活を切望して、一人暮らしを夢見ました。

突然それに似た経験をすることになったのです。

  

1年ほど前、足の浮腫みに初めて気がついたときは形があまりに変わって驚きました。

それを指摘した時、本人はさほど気にしていないようでした。

いつものことです。私がいう事は大抵聞き流すのです。

だんだん酷くなっていくのを見ていたので、検査と聞いても驚きはありません。

「投薬して経過を観察するだけだから。長くなるけど、面会はできないそうだ」

そういうことなら別に心配いらないね。

そう思った後、13日間?やったじゃんとも思いました。

   

家族から「明後日から検査入院する」と言われたらなんと思うでしょう。

例えばポッペやボーから聞いたなら…

「どうしたの?どこが悪いの?どうして今まで何も言わなかったの⁈」

訊きたいことは山ほど出てきて心配で仕方なくて、面会が出来ないなんてあり得ないと思うでしょう。

  

それにしても「検査入院?浮腫んでいるもんね」という平坦な感想は…

結婚してから、私にとって“病気”や“病院”は配偶者との不快なエピソードと直結しています。

結婚して義父との同居が始まり、私は出産を控えて退職。

「妊娠は病気じゃない」「陣痛が来てもすぐ病院へ行くことはない。どうせ生まれるまで半日はかかる」などの聞きたくない会話。

転勤先で二人目の出産。陣痛が始まったのは台風の迫る夜中。配偶者は「翌日仕事だから」と、暴風雨の中一人で荷物を抱えてタクシーで病院に向かったこと。

配偶者が部下から相談を受けて帰宅が遅くなった夜、「部下のかみさんが精神病らしい。かなわんな」と私に言ったこと…これに関しては様々な方面に失礼です。

私の歳を考えればどれもずいぶん昔の話です。

でも当時言葉にできず、処理しきれなかった感情は行く当てもなく心の奥深くに沈んで、こういう機会に思い出したように水面にボコッと姿を現すのです。

   

この13日間はとても心地よい時間でした。

仕事が終わり、最寄り駅のスーパーで買い物をし、帰ってからポッペとボーと3人でおしゃべりしながらご飯を作り食事する。

休日にはゆっくり起きて窓を開け、静かなリビングに新鮮な空気を入れてお湯を沸かし、サッと掃除をしたらコーヒーを飲む。

無理なく滑らかに時が流れ、「快適だ」と感じることで終始しました。

「嬉しい!」という感情とは違う、満たされるような幸せを静かに味わう心地よさ。

  

私は、ささやかでも自分らしく過ごすことが一番満たされるのだと改めて自覚したのでした。

  

  

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