【母が特養に入るまで】番外編②:一人っ子の遠距離介護 ×2

遠距離介護

ここまで「東京に家族と住む一人っ子の私と母親であるC子さん」について書いてきました。

実は私の配偶者も一人っ子で、要介護4の父親がやはり一人で住んでいます。

C子さんより2歳上で、こちらは認知症はあまり心配ないものの足が不自由なため、身体的な介護が必要な状態です。

それでも自宅で一人暮らしできるのは、毎日ヘルパーさんに朝夕の2回来ていただいているからです。

私達が東京に暮らしており、面倒は見られないということでケアマネさんと相談の上このような形になったようです。

私も配偶者も「お互い一人っ子で片親の面倒を見る」という共通の立場にあるわけです。

それならば「自分で自分の親の面倒を見る」ということにしました。

今は、金銭的・肉体的・時間的のすべてについて、お互いに干渉しあわない状態でいます。

初めからこのようにしていたわけではありません。

まだ子供たちが幼いころ、私たちは7年間義父と同居していました。

下の子が卒園した春、配偶者の転勤で私たちは関西へ行くことになり、義父は一人暮らしとなります。

義父は少し足が不自由で、近所の方に介護支援をうけることを勧められました。

そのころの私は何も知らず、地域の強いつながりの中で言われるままにしていただけでした。

その時の手続きは、義父の介護のスタート地点だったようです。

関西に行ってから私自身はパートの仕事を始めました。

配偶者は仕事が忙しく、家で食事ができるのは週に1~2回で休日は接待ゴルフが続きました。

そのような状況だったので、私が義父のケアマネさんとの窓口となっていました。

関西の生活は2年で終わり、次は東京へ転勤となりました。

義父のケアマネさんから時折相談の連絡が入った時は配偶者から折り返してもらいました。

私はおむつや介護用品を定期購入するなど、雑用的な事だけ手伝っていました。

そのころ徐々にC子さんは物忘れやトラブルが増え、私の遠距離でのサポートが増えました。

2017年に認知症と診断されます。

それからはC子さんの介護付きの一人暮らしが始まり、ケアマネさんとのやり取りや生協の注文など毎週対応に追われました。

配偶者の退職を機に私はフルタイムで週5日働き始め公私ともに大変忙しくなりました。

配偶者と私はこれで金銭的にほぼ対等になったことになり、お互い要介護の親が一人いる状態となりました。

そこで、今まで私が代わりに受け持っていたこと全てを配偶者に引き渡しました。

お互いに自分の親を自分の納得がいくやり方で介護していくことになったのです。

今までC子さん関連の出費で配偶者の資金から出した出費は一切ありません。

全てC子さん自身の貯金や年金から賄っています。

これはとても大事なことで、私が絶対に守ってきた一線です。

また万が一C子さん自身の資金が枯渇した時は私の貯えから支出するつもりでした。

それだからこそ今回スムーズにそれぞれの役割を分割できたと思います。

今の私には「嫁の立場」という考えは無くなりました。

義父と同居していた頃は、世代や習慣の違いという家族間のギャップがありました。

その地域性から来る圧の中で、むしろ自分自身が嫁という立場を強く意識して日々生活していました。

同じ空間に居ることで生まれる軋轢に、体や心が順応しようと形を歪めて自身を苛みました。

私の本性は、深いところで自由やアイデンティティーを渇望していたのかもしれません。

長い年月をかけ私は私自身を取り戻し、少なくとも親の介護についての方向性は納得のいくものになっています。

2019年春。

C子さんはデイサービスとヘルパーさんの手助けをいただいて毎日過ごしています。

生協から届く食材を手あたり次第食べ、時々散歩に出かけ、せっせと駐車場の地面を掃いてデッキブラシをこしらえていました。

  

  

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