引越してきてから、嬉しいことばかりだった毎日。
不自由なことも、足りないことも、全てがリスタートの証でした。
それら非日常の日々が落ち着いて、ここでの生活もすっかり板につきました。
フツウの出来事には意識が行かなくなっていたこの頃。
職場でハンカチをトイレに落としたり、イヤなことをハッキリ断れなかったり。
出来事そのものは小さいけれど、あ~ぁ😔なんですよね。
ハンカチはともかく、自己主張より〝穏便に根性〟が勝ってしまうのが情けなくて。
それを26年間続けたから、結婚生活が破綻したんじゃなかったの?
もちろん、離婚を決意するに至る原因は相手方の無関心、不誠実、金銭トラブルです。
でもそれは過ぎたこと、今の私にとっては清算すれば済むことです。
それよりも私のこころに巣くっている長年の後遺症のような〝思いグセ〟。
それを認めて解放してあげることが、これからの自分には絶対に必要だと感じました。
相手がどうあれ、私自身のメンタルの在り方をもっと意識しようと思ったのです。
「自分の感覚を信頼して、自分を一番大切と考える」
私には慣れない心の持ちようです。
引越し当初のように自分にとって居心地のよい状況であれば、それもできるようになりました。
でも不穏な空気や、自分には不本意な方向に話が進みそうなときには・・・
トップのKさんは本当にスゴイなと思うわけです。
MさんとJさんは上長に「Zさんと席を近くにしないでほしい」と言ったそうなの。
でも仕事でしょ?それはそれ、これはこれよ。
私、「声うるさいですよね」って言われた時「そう?あんまり気にしないけど」って言っておいたわ。
Zさんにミスが多いことや、就業中なのに上長を捕まえて長時間〝要望〟する姿勢についての批判とは切り離しています。
目線はあくまで客観的で感情に流されません。
ご自身の立ち位置を明確に決めていて、決してブレないのです。
〝同意すること〟〝共感すること〟〝承認するだけ〟を一瞬で見分けているように見えます。
私も見習いたいと思って、Kさんのその時々の受け答えを思い出してみました。
同意するとき。
そうね、分かった!
共感するとき。
そうなのよ!わかるわ~
承認するだけのとき。
いいんじゃない?
私も、Mさんから相談を受けたときに
あ~それは良いかも。
人数も増えたからお互い気を付けましょうみたいな。
などと言わずに
いいんじゃない?
と言っていたら、印象は全然違っていたと思えます。
そしてKさんが〝同意しない時〟はこう言うのです。
そう?気づかなかったわ
これを今回のことに当てはめてみます。
Mさんが私に「メッセージに載せてもらえるよう上長に頼みたいと言って」来た時に
そう、そこまでは思いつかなかったわ
とだけ言っていたら、展開は絶対違っていたと。
あ~~これは学びだ。
今回のドツボ事件では、自分でも気づかなかった心の残滓を見つけることになりました。
〝穏便に根性〟は、これにて消化され、これからの私には4つの手札ができました。
この手札を自由に操れるようになるには、きっと時間がかかることでしょう。
でもそんな初心者マークはオクビにも出さず、公道を走っていこうと思います。
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