同じ職場で私と同い年のDさん。
時々少しお話ししたり、お菓子を差し入れあったり。
ひょんなことから、昨年秋にシニア婚をされたと伺いました。
私はずっと一人でいいと思っていたんですけどね。
根負けしてしまって・・・
昨年秋と言えば、私は前の家を出て行く準備も佳境に入っていた頃。
同じ時期にまったく逆の人生を選択した人がこんなに身近にいたなんて。
詳しくはお聞きしませんでしたが、そういえば時々パートナーのことが話に出ていたなぁと。
お互いに2022年は人生の節目だったのですね。
私には、もう15年ほど会っていない特別な友人がいます。
東京に来る前、関西にいた時に知り合って、実際には2年余りのお付き合いでした。
早くにご主人を亡くされて、当時から女手一つでご子息を育てていた実業家です。
娘のポッペが小学校で同じクラスでした。
ご近所でもあり、引っ越したばかりで何も知らない私に声をかけてくれました。
子どもの話をするうちにお互いにシンパシーを感じて、プライベートなお付き合いになったのです。
彼女は人の肩書を知ろうとしません。
所属や結婚相手のこと、出身のようなことには興味がなく、人そのものと向き合う人です。
だからこそ、当時も主婦でしかない私とも話が合ったのかもしれません。
東京に引っ越しても年賀状のやり取りだけは続いていました。
今年の年賀状に「お子様方も社会人になられ、いよいよご夫婦のゆったりした時間を‥」と書いてくれました。
それで、遅くなったお年賀に私の近況と息子ボーの現状を簡単に書いて送ったのです。
その後しばらくしてショートメッセージが届きました。
「このメール届くかな‥」という書き出しで。
ご自身の近況に加えて送ってくれたこの言葉は、私のこころに沁みました。
ボーの就職は2回の留年で同級生とは違ったけれど、ボーには必要な時間なのだと思っていたところでした。
15年前、まだ小学生だったポッペ達。
毎日、仕事に育児にと時間に追われる彼女が「早く大きくなってほしい!」と言っていたのを覚えています。
好きなことを仕事にして、人から見たら苦労に見えることも生き生きと乗り越えていく。
そのようにして、ご子息を立派に社会に送り出した彼女の言葉は、滋味深く私を癒してくれました。
今は人生をいろいろ選択できる時代になりました。
就職も結婚も、学校の通い方も人生の歩き方も、はみ出すことを許さなかった時代は終わったのです。
それぞれの悩むべき時にしっかりと悩み、自己と向き合って、答えを出す過程で人は成長します。
そうやって1つずつ階段を上ることが出来るのは、人生に対して真摯に向き合っている証。
その結果が他の人と違っていたとして、それが何でしょう。
自己を知ることもなく、楽な道だけを選ぶのもまた人生。
選択肢などなく、受け入れるしかない場合もあります。
〝若いときの苦労は買ってでもしろ〟と言われた時代もありましたね。
今でもそう言うのかな?
確かにね、と思うこともあるけれど、苦労すればいいってものでもないでしょう。
人生いろいろ。
私の周りだけでも、同世代の女性の生き方が様々になっています。
若い人たちのこれからは、社会の在り方や価値観が根底から大きく変わっていく過渡期。
人生の正解は、たぶん人によって全然違うのでしょう。
自分の答えは、自分で見つけるしかありません。
苦労して見つけた自分の生き方なら、後悔はないと私は思います。
たとえ遠回りしたり、失敗して涙することがあったとしても。
こういう苦労こそ、後に大きな実りになるのかもしれませんね。
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