配偶者が家のお金を使い込んだことは許せる訳がないし、蔑ろにされたことを忘れることなどできるわけがありません。
でもこの時点で離婚しないと決めた以上、負の出来事と感情を封印して、前を向く決心をしました。
『普通の家庭』は私にとってミッションになったのです。
そんな時、新聞に入っていた中古の二世帯住宅の広告。
『実家を引き払い実母と共に二世帯住宅で暮らす』というシナリオが浮かびました。
実家で10年程一人暮らしをしている母親に、なんとなく不安を感じ始めていたころです。
私たちはこれまでに配偶者の実家で、延べ7年間舅と同居しました。
配偶者の実家は舅と配偶者が共同名義で建てているので、配偶者の持ち家でもあります。
それで結婚と同時に同居が始まったのです。
ですが、その家の中で交わされる会話や生活習慣は、結婚前に見せなかった配偶者の一面でもあり、私には馴染めないものでした。
三度あそこで暮らすことなど、もう考えられません。
私はまず、その広告を出している不動産屋さんに連絡して、私の実家をざっと査定してもらいました。
すぐにC子さんに連絡します。
突然の話にC子さんもさすがに戸惑っているようでした。少し考えてから連絡すると言って電話をきりました。
夕食後、あれ以来初めて配偶者の目を見ました。告げるように「中古で出ている二世帯住宅の購入を考えている。実家を売って母親を引き取るつもりだけど、いい?!」
配偶者は驚きを抑えながら、「それは‥‥どこまで話‥進んでるの?」
驚くのも無理はありません。朝までは挨拶も返ってこなかったのですから。
それに私の実家を売って母親と同居するなんて話は、今まで一度も聞いたことなかったのですから。
結局、少しの紆余曲折があって、C子さんから「やっぱり手狭だし、知らない土地だし、今の気楽な生活を手放したくない。」と返事がありました。
まぁ、そうなるでしょう。
この話は無理だろうと私もわかっていました。
殊勝な態度を示せば私の怒りが収まると思っている配偶者。
この温度感の違いは今に始まったことではないけれど、「この前はごめんね」「こっちも‥」などという会話で〈元さや〉に収まる気はサラサラありませんでした。
この突然で乱暴な話題は、空虚に過ぎていった時間の空白をブルドーザーのように押し流して、力技で会話を再開させるのにはもってこいでした。
その上で、今までの出来事を踏まえて私の今後の方針を話しました。
まず振り込まれたお給料は私が引き出して、お小遣いは手渡しする。
口座のカードは私が預かる。配偶者はお給料に直接タッチしない。
配偶者に抗う選択肢などありません。カードを取り上げました。
それからしばらくして、短い大阪生活が終わり、東京転勤になりました。
ポッペもボーもまた転校です。
それ以来、子ども達の思春期は母子ともども毎日が必死でした。
こうして再び家族として通常モードに入っていきました。
それ以後私が軸にしたのは、『家計を圧迫しなければ気にしない』
そう決めてしまうことで良くも悪くも気持ちが安定していきました。
私が配偶者と結婚をしようと思った動機の一つに、『おおらかさ』がありました。
私が悩んでいることを配偶者に相談すると、なんだか気分が軽くなって、悩んでいたことなどちっぽけな事のように思えてくるからです。
結婚して同居生活にも少しは慣れてきた頃、言葉には出さないけれど、いろいろな思いや消化しきれない感情に潰されそうになっていました。
その住んでいる地域に小さな教会があって毎夜控えめなネオンが瞬いていました。
ある晩、私が寝室からそれを見ながら「あーぁ‥一度あの教会‥行ってみようかな‥」と言うと配偶者は「ママが行ったら、良いカモにされちゃうぞ」
それを聞いて「それもそうだね(笑)」と。
その時は「やっぱりこの人と結婚してよかった」と思ったのを覚えています。
それほどその言葉に救われ、こころが軽くなったのです。
でも、それは間違いでした。
その「 あーぁ‥ 」はその頃の私の本音が詰まったため息でした。
その思いをぶつければ、あるいはもっと違う結論になったかもしれません。
でも、できない、それが私なのです。
当時の私は『そんな私の気持ちを受け止めて、出た言葉』だと思ったから救われたのです。
でも今から思えばそれは錯覚でした。
配偶者は何も考えていないのです。「あーぁ‥ 」はため息、それだけです。
これはむしろ『無頓着』に近く『寛容』とは違います。
『無頓着』は悪意ではありません。
でもそこに『無神経』や『無理解』が重なり『女子供の言うこと』と軽んじられた時、それでも受け入れていくことはできないのです。
これ以降、私はミッションになった『普通の家庭』を遂行することと、『子ども達を社会に送り出すまで子ども達と共に歩いていく』を優先順位の筆頭に生きていきます。
そのために必要な父と母の役割が十分になされたとは言えません。
ただ最低限、配偶者と私が父と母でいるための努力はしてきました。
それも、もう終わりです。
これまでの道のりは最適解ではなかったかもしれないけれど、振り返って、後悔することは何もありません。
子ども達から「良くやったよ」と労われた今、ここで卒業します。
ポッペ!ボー!
真っ当に生きてきてくれて、本当にありがとう!
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