嵐のような一昨日の夜、雷が鳴り大粒の雨がたたきつけました。
いつも6時ごろ起きるのですが、私が目覚めたときはまだ豪雨という感じでした。
いつもなら出勤していて、いないはずの配偶者がリビングにいる気配がしました。
洗面所に行くためにドアを開け、朝の挨拶だけすると「すごい雨!」というので「うん」と返事だけはしました。
そのまま洗面所のドアを閉めて、朝の身支度をしているとしばらくして「行ってくるわ」とドア越しに声がしました。
「いってらっしゃい」一応声には出しました。
私が出勤するころにはすっかり雨が上がり、びしょ濡れの道路にはたくさんの落ち葉や木の枝が散乱していました。
気づくと配偶者からLINEが入っています。
「ありがとうございます」と返しておきました。
その言葉以上でも以下でもない、感情の含まれない返事。
歩きながらそれを返し、かつては立場が逆だったなと感じました。
何か伝えなきゃいけないときはもちろん、相手を気づかって何か知らせたり提案したりした時も返事は大抵「承知しました」。
特に現役のころは男尊女卑の考えがベースにありました。
仕事上「激論をたたかわせる」ことが日常で、プライベートでも、たわいのないおしゃべりなど成立しないのです。
共感できるか賛成できるかしかなく、できない場合は「間違っている」
何を話していても本音をいう程、最後には結論や価値観を押し付けられるような不快感でおわることも少なくありませんでした。
その度、自分も考えをぶつけてみれば良かったのかもしれません。でも面倒でした。
子供たちに対しては上からモノを言う姿勢しかありません。
相手に寄り添うことなどしたこともないし、どうやるかもわからないでしょう。
「部下を育てるときには、必要なときに“叱る”。それは“怒っている”のではない」が口癖でした。
部下を育てることは或いはできたのかもしれません。
でも家族は部下ではないのです。
配偶者のLINEが古い記憶を呼び起こし、その当時の感覚が私の身体を覆いそうになりました。
でも目の前の光景は、雨上がりに輝く木々、冷たく澄んだ空気‥
強い風に吹き飛ばされた枝は地面に散らばって、これからも強く生きていける枝たちに新しい木の芽が育つのです。
駅に着くころには、私は自分を取り戻し何事もなかったように階段を降りていくことが出来ました。
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