私には前から疑問に思っていたことがあります。
『これはご縁なのね』
そう感じて運命に導かれるように物事が進んでいったのに、結局は実らなかった結末。
ご縁があったはずなのに、何か間違ったの?
私にとっては結婚がそれにあたります。
私と相手方は紹介されてお互いを知りました。
会う前に「こういう感じの人だよ」と写真を見せられた時、不思議なことが‥。
チリり~ん
耳の奥で鈴のような澄んだ音がハッキリ聞こえ、直感で〝運命だ〟と感じました。
と同時に「え?この人なの?」とも思ったのを覚えています。
外見が理想とは違っていたのはお互い様でした。
それでも結婚したのは、その優先度が低かったのですね。
結婚を決める時のチェックポイント的なもの、当然ありますよね。
何を重視するかは人それぞれですけど。
〝釣り合わぬは不縁のもと〟なんて言葉は、今ではもう死語でしょうか。
私の場合そういう意味でも本当につり合いが取れていて、そこにもご縁を感じたものです。
結婚式までの道のりって案外紆余曲折しますよね。
数々の現実的な問題を前に、結婚そのものを見直す方もあるでしょう。
過去の私は立ち止まって考えることはあっても、引き返そうとは一度も思いませんでした。
「なぜ結婚したのか」と言われたら「ご縁があったから」としか言いようがありません。
そんな結婚生活でも、結局破綻したのです。
あんなにご縁を感じ、運命の相手だと思っていたのに。
当時の感覚が間違っていたのかな‥。
ありふれた展開、結末と言えばそうなのですが。
それにしてもご縁って何だろう。
職場の先輩、Kさんと話していた時ちょっと聞いてみたくなりました。
私の結婚生活って、ご存知の通りなんですけど…
でも結婚を決める時は、本当にご縁を感じたんですよ。
なのに結局こうなっちゃって。
ご縁って何なんですかね。
間髪を入れずにKさんは言いました。
ご縁っていうのは、修行なのよ。
その人の魂が次のステージへ行くための、修行の場が与えられるの。
魂の修行・・・
今まで〝ご縁がある〟というと、それは〝正解を引き当てた〟的に思っていました。
何かに導かれて、間違いがないような。
「これはご縁に違いないわね」=安心できる選択
みたいな。
そう思っていたから、いつか幸せな家族になれるはずと信じていたところがありました。
それなのにこの結末‥何か解せないところがあったんですよね。
自分で決断しておいて何ですが。
それが〝魂の修行の場〟と言われたとき、視界が開けたような気分になりました。
毎日の小さな一期一会や、身の回りの人間関係もご縁。
相手方との結婚、ひいては親との関係、これもご縁です。
そう言う視点で幼少期から自分の半生を見返してみると、正に修行。
私が子ども達から修行僧と言われていたのも、あながち伊達ではないかもしれません(笑)
その長かった半生を〝魂の修行〟という視点で見た瞬間、目の前に太陽に輝く雲海が広がったのです。
一瞬のフラッシュバックのように。
それは高い山の頂上から眺める景色のようでした。
その場には私の他に男女1人ずつ、3人がお互い違う方向を向いて少し離れて立っていました。
これはもう娘のポッペと息子のボーに間違いありません。
眼下に輝く雲海を3人で感慨深く眺めているのです。
この山は他でもない、家族の山です。
登山の経験がない私は、苦労して山頂にたどり着いた登山家の感慨を想像してみます。
それは、別居を決行した日から私たち3人が何度も口にした言葉が象徴していました。
「3人とも本当によくやったよ」
お互いに励ましあって頂上にたどり着いた達成感。
滑落することなく登ってこられたことへの感謝。
そんな気持ちが、静かに胸いっぱいに広がっているのです。
ひとつの山を登り切った連帯感を胸に、3人は別々の方向を向いています。
この後それぞれが目指す先にどんな山が待っているのか、知る由もありません。
しばし今は3人で、この美しい風景を満喫していたい。
いつか新たなご縁にめぐりあい、再び魂の修行が始まるその日まで。
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