別居当日。
配偶者は私と連絡が取れないと分かり、娘のポッペに電話をかけてきます。
この日を祝う食事の席でした。
配偶者の手には、私が残してきた『受任通知』があるはずです。
そこには、連絡先であるH弁護士の電話番号が記されています。
それでもやはり私たちに連絡を取ろうとするだろうと、私と息子のボーは着拒にしたのでした。
直前まで「着拒にする決心がつかない」と言っていたポッペ。
実は先月の末あたりから、私たちの中で一番ナーバスになっていました。
ポッペには長い間『父親に認められたい』という強い願望があったようでした。
配偶者は、時代に逆行するかのような家父長主義、男尊女卑の考えの持ち主。
それがポッペの成長と共にぶつかり合い、ポッペは何度も無力感に襲われ傷つき自己否定的な考えに苛まれました。
自分の価値が分からず、大学受験ではどん底を味わいます。
しかし不本意な進学を余儀なくされたときポッペは底力を見せました。
周りの学生は今まで出会ったことも無いような価値観・考え方の人ばかり。
そんな中、腐ることなくちゃんと友人を作り、先生方とも知己となります。
就活では父親の助言を素直に受け入れ、見違えるように必死に活動し第1志望の会社に入社しました。
その助言が功を奏したと思ったのもつかの間、その会社は父親の世界観と同じ環境でした。
1年目は入院するほど体調を崩しましたが、本当に歯を食いしばって3年間勤めます。
その間、転職について父親とのやり取りは当然ポッペを不快にする反応でしかありませんでした。
「今の会社以上のところに転職できるわけがない。」
「どうせ嫁に行くんだ。相手次第で先々なんてどうなるかわからん。」
社会人になってからの方が激しいぶつかり合いだったそうです。
「こっちを見ろ!一人の人間として対峙しろ!」
ポッペの心からの叫びも全く響かない。
投げたボールは空しく宙を泳ぎ、受け取らない相手の向こう側へ転がって見えなくなるのでした。
入社して3年後、ポッペは自力で転職先を決めました。
契約社員ですが、父親がグーの音も出ないグローバルな組織です。
それまでの会社とは正反対の外資系に近い環境。
ポッペが自己肯定感をとり戻せたのも、この転職のおかげです。
と同時に父親の影響力は存在感を失います。
父親は娘を「男ではない」という価値観で優位に立つしかなくなったのです。
ポッペは前の会社でコツコツと貯金したお金の3分の1を、父親に返しました。
受験に関わる出金についてのポッペなりの清算です。
そして今年の夏、私たちより先に家を出ます。
ここ数年で急速に老いた父親について、何もかもが限界だったと聞きました。
それでも今回、自分の役割について考え、理性を持って勤めてくれたのです。
「父親に関して、何かやり残したようなことは一切ない。」
「父親に対する子としての感情はすべて清算されている。」
としても。
老いた父親に道筋を示し、その悲しさを受け止めるのは自分しかいないと。
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