ありふれた日常の一コマが、なぜか記憶に残る事があります。
自分しか覚えていないような瞬間。
喜怒哀楽に必ずしも直結しない記憶です。
私にとって直近のそれは、5年ほど前でした。
まだ自分の未来に人生のターニングポイントが待っていることを知りません。
元配偶者とつまらない短い会話をした後でした。
意図せず思い浮かんだ言葉に私は驚き、見過ごすことができませんでした。

馬鹿馬鹿しい
こんなこと、いつまで続けるんだろう
ハッと振り返るようにその言葉を反芻します。
いつまで続ける・・・?
結婚後にいろいろあって私はいつしか話し合いを諦めました。

ひび割れは目をつぶろう
家族のカタチを整えていこう
本心と引き換えに、悲願である理想の家庭像を追い求めていきます。
そこにあるはずの幸せを手にするのだと。
そのためにきっちりロールプレイングしていくと心に決めて長年過ごしてきました。
でもあの日はその私の言動が、どうしようもなく空しく無意味に感じて。
張りぼての薄っぺらい関係。
それは既に干からびて、希望の泉は幻なのではないか‥
目の前の風景から音が消えズームアウトしていくような感覚から我に返ります。
「ホント、バカバカしいよね」と普段の自分に戻ろうとしたけれど、できませんでした。
それ以来〝いつまで〟という言葉の意味を考えるようになりました。
こういうタイミングありませんか?
以前ならやり過ごせたことが、すっかり見え方が変わるような。
これが原点、今から思えば前兆でした。

〝行動を起こす〟〝一歩踏み出す〟これは人生のターニングポイントになります。
でもその少し前に、認識していなかった私自身の本心がサインを出していました。
思い返せば過去にも何度か似たようなタイミングがあったのです。
でも若かった私は一心不乱に夢に向かっていて、本心は封印していました。
すでに出口のない迷路に迷い込んでいることに気づかないまま。
あの日、不都合な真実は見せかけのゼロから1に変わったのです。
その1が2、2が4と倍々ゲームで増殖していき知らない間にMAXになっていました。
そしてターニングポイントがやってきます。
元配偶者から脅しで別居を仄めかされたとき、私の魂は間髪入れず察知しました。
今がそのタイミングだと。

お互いに本心で語り合える関係であれば起こり得ないのでしょう。
信頼の絆で結ばれたご夫婦を垣間見ると、本当に美しく尊さにこころ打たれます。
そのような人生を歩んでみたかったと今でも思うことがあります。
でも残念ながら私は経験できませんでした。
運は人が運んでくると言います。
本当に必要なものは与えられるとも言います。
確かにそれは本当で、この家にご縁を得た日から折に触れて感謝する毎日です。
それでも私にはあの日、自分の本心に向き合っていなければ今日は無かったと思えます。
迷路を抜け出すポートキーは私自身の中にずっと在ったのです。
私にとって独立記念日の10月4日が近づいて、なんとなく過去を振り返りました。
あれから丸3年、感慨深いです。
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