別居して、1年経って思うこと

卒婚

別居して、1年経ちました。

おかげ様で毎日感謝して暮らしています。

あの日を境に私の人生は180度変わりました。

自分を後回しにする人生から、自分を大切にする人生へ。

その分岐点を目指した時から、すでに扉は開かれたと思っています。

  

今から思えばその扉は、ハリーポッターで言うところの『必要の部屋』の入り口のようなもの。

本当に必要としている人の前にしか姿を現さないのです。

私の場合、自分の本音が突然口から飛び出したのが全ての始まりでした。

潜在意識にフタをしていた重しの岩が〝落雷〟で粉々になったかのように。

長年かけて無意識の領域に蓄積した自分の本心。

充満していたそれが一気にあふれ出て、本当の私が姿を現したのです。

私自身が本当の自分の姿に気づくまで、約26年間かかりました。

長いですね(笑)

あのころの私は何のためにあんなに必死になっていたんだろう。

理想としていた家族の形、その枠組みを作れても中身は全く伴いませんでした。

その枠はすき間だらけで、何度ふさいでも意味はなかったのに。

でもかつての自分を責めたりはしません。

あの頃、それが精いっぱいだったことを知っているから。

  

自分の本音をしまい込んでいるうちは、あの扉は現れなかったのですね。

だって、あることすら知らなかったのですから。

もしかしたらずーっと近くにあったのに、見ようとしていなかったのかもしれません。

どちらにしても、その扉はタイミングよく勝手に開いてくれるわけではないのです。

自分で開けなければ決して外には出られないという事です。

あの時もし扉を開けていなかったら…

そんなことを最近もふと思いました。

逆に、もしずっと前にその扉に気づいて開けていたら…

子ども達がまだ幼かったとき…小学生や思春期だったとき…

今とは全く違うパラレルワールドがその先に続いていたのかしら。

でもその頃の私にはまだ捨てきれない希望があり、理想の家庭像がありました。

それが色あせない限り扉を開けることはなかったのだろうと思うのでした。

  

仮説はいろいろ立てられます。

それぞれにおいて可能性はゼロではありません。

少なくとも今回が最後のチャンスだったのは間違いが無いようです。

『幸運の女神には前髪しかない』

ギリシャ神話ともレオナルド ダ ヴィンチの言葉とも言われるコレ。

そんな昔から言われているだけのことはありますね。

めでたく前髪をつかんだ私は、おかげ様で無理せずのんびり好きなことをして暮らせています。

この1年は離婚調停が始まり、その不成立で終わりました。

なんだか節目っぽいこの記事が、偶然にも〝卒婚〟の100投稿目になりました。

既にH弁護士は訴訟提起の準備に入っています。

私の卒婚はまた新たな章に入ります。

これからの1年でどのように進んでいくのか、少し楽しみになってきました。

  

  

  

  

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