先月、有田焼祭りの時期に北九州に行きました。
娘の出張に合わせて週末現地で合流したので、往きは一人で羽田空港へ。
ターミナルは混雑していて、搭乗までソファに腰かけて行き交う人をぼんやり眺めていました。
ビジネス風の人はチラホラ、大半は2人連れやグループです。
私は自分が、たくさんの家族連れをフラットな気持ちで見ていることに気づきました。

量子力学やパラレルワールドは難しくてよくわかりません。
ただ自身の体験から確かに「思考は現実化する」と実感しています。
誰しも希望が叶うことを望みますよね。
私はずっと「幸せな家庭をもちたい!」と願い続け、夢を追い続けることになりました。
「離婚する」と決意し、離婚を実現しました。
この2つの結果は真逆です。
その違いは私の取った行動、〝願う〟か〝決意する〟かであり起こった現象は同じなのです。

離婚が実現したのは〝願ってはいなかった〟からです。
初めて弁護士の先生に相談したとき、私の言い分を聞いた先生の言葉を今も覚えています。
「裁判まで行った場合、法的に離婚が認められる可能性は五分五分です。」
なるほど‥と頷きながら私は「離婚を勝ち取る道は険しいのね」と思っていました。
不思議なことに「無理かも」という不安は浮かんで来ないのです。
ある意味ネジが外れていたのかもしれません。

「大丈夫、必ず離婚できる」と自分に言い聞かせるのとは違います。
世に言う予祝のように「離婚できました。ありがとうございます」とも思いませんでした。
離婚を決意し〝既成事実のように〟信じ切っていたという事です。
その上で今後起こり得る幾つかの道筋のゴールをすべて離婚に繋げます。
そして逆算してロードマップを作るのです。
別居はいつ決行し、必要な準備は何か。
準備は何から始めるのか。
トラブルに見舞われても今するべきタスクを確実に処理していきました。

一方、切望していた幸せな家庭はなぜ手に出来なかったのでしょう。
家族4人がお互いを慈しみあえる温かい家庭。
夫婦間の不信にフタをしたまま、いつか手にできる、信じたいと願い続ける日々。
願う状態が現実化して、そしてまた切望する。
それは即ち夢が夢で終わる世界だと気づいていませんでした。
別居するつもりだと子ども達に打ち明けて以来、3人の関係が劇的に変わっていきます。
お互いの本心を共有し、ありのまま認め、励まし支え合いました。
別居は子ども達も家を出る一大プロジェクトとなり、私達3人は強い意思の塊になりました。
皮肉なことに4人家族の夢を捨てたとき、求めていた繋がりを手にしたのです。

〝自分に矛盾や嘘が無い状態〟が信じ切ることを可能にするように思います。
そしてその思考が現実化されると、以前のように願わなくなります。
自分の本心ですから自然に揺るぎない意識となり願う必要が無いからです。
私はかつて他のご家庭と自分の家庭を比較して、いろいろ思ったりしていました。
その思考が現実化し、人生は重苦しく、閉塞感でため息ばかりついて。
そういえばため息というものを忘れていたと、ここまで書いて気づきました。
自分の本心が現実化される日々ならば、あらゆることが快適になっていくのも頷けます。
私の生きる世界は変わったと改めて感じます。
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