YouTubeをなんとなく見ていた休日の午後。
誰かの声がスッと耳に入ってきました。
「怒りは悲しみが姿を変えたもの」
この言葉が私の頭の中で立ち止まり、もう一度ゆっくりと繰り返したとき。
そうか、そうだったんだ‥
鳩尾の辺りがジワジワと暖かくなって、安堵のような不思議な感覚が広がりました。
目の前に、ぼんやりと小さな女の子のシルエットが見えました。
幼いときの私?と思った瞬間、遠い過去の記憶が押し寄せます。
周りは意地悪で自分勝手な大人ばかり。
抱っこしてほしかったのに
話を聞いてほしかったのに
ただ、頭を撫でてもらいたかっただけなのに
成長すると、浴びせられる暴言や暴力に理不尽さを確信し、怒りが日常になりました。
涙を流すときは、お腹の底から悔しかったとき。
無力な自分に耐えられなかった時。
「本当は悲しいんだ‥」
私自身がそれに気づいていたら?
あの両親にそう言ったとしたら‥?
当時の自分が気づかないでいて、本当に良かったと思います。
親から子へ、無償の愛とかいうけれど。
愛し方も分からない親は珍しくありません。
だけど・・・
親を信じたことがない子どもっているのかな
子どもは、信じたいんだ
希望をもちつづけたいんだ
きっと愛してくれている‥
たまに期待できそうな瞬間がやってくる
喜びは一瞬、後から必ず冷や水を浴びせられる
涙と失望が怒りを生んで、年がら年中イヤな事ばかり
その度に心の中で小さな私がうずくまる
残念なことに、結婚は転機になりませんでした。
私の言葉は届かず怒りは凝縮されて、心の底に重く静かに溜まっていきます。
そんなエネルギーを原動力にして生きていたら、幸せになんてなれっこないですよね。
親へのわだかまりは時間をかけて清算し、人生のパートナーと思った相手とは関係を清算中です。
すべてが過去のものとなって以来、すっかり手放せたと思っていたのに。
無くなったわけではなかったのですね。


人は悲しみを感じたくないんです。
惨めな気持ちになりたくないんですね。
それで自分を守ろうとして怒りに変わるのです。
ほぼ半世紀ほど内側に抱えていた〝怒り〟。
過去の自分の核といっても良いその正体が、実は悲しみが作り出したアバターだったとは。
そうか‥本当は悲しかったんだね。
そう知覚した途端、体の中心が暖かくなって、目の前でたくさんの小さな光の粒がゆっくりと広がっていくのが見えるのです。
暫くの間、何とも言えない満ち足りた気持ちに包まれました。
ふと「これで昇華した」と感じ、気づくと小さな女の子のシルエットは見えなくなっていました。
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