東の空に上がったばかりの黄色く輝く月を見ました。
その光がこころの底まで届いたように感じた、その夜。
いつものように娘のポッペとFaceTimeで話していました。
私たち2人は色々な価値観を共有しているけれど、当然のことながら根本的に違う部分もあります。
ありきたりなおしゃべりが何時しか深い話になっていく事もしばしばです。
その日はポッペに言われて、私は今までそれを考えたことがあったかなと思いました。
ポヨってさぁ、何を原動力に生きているの?
『自分が何を原動力に生きているのか』
大前提として、活動的な状態にあるときのことを言っています。
生きるために何を燃料に燃やしているのか。
〝推しメンが居て推し活のために生きている〟とかそういうことではなくて。
それを言うなら、推し活中心に生きている人の原動力は何なのか。
〝推しメンへの愛、それが原動力〟みたいな。
今の私は、迷わず〝自分への愛〟それが原動力と言えます。
私が着たいものを着て行ける職場、食べたい物を食べられる夕食。
1人立ちで選んだ住まいは、私の長年の願いが叶えられたかのような出会いでした。
ささやかでも満たされた衣食住。
やりたい事をやりたい時にできるこの環境は、まっしぐらに私のための生活です。
でも、かつての自分は全く違う人生でした。
はるか昔、両親のもとで子として生きていた頃の原動力は〝怒り〟
自分に向けられる攻撃に対して「理不尽だ!」というこころの叫びが原動力でした。
自分という核を守るために殻を厚くしトゲを蓄えていきました。
一家の主婦となり我が子を授かってからは、そこに私なりの愛が加わります。
ポッペが中学生の頃、Superflyの『ハロー・ハロー』に感動して以来、アルバムを買っては一緒に何度も何度も聴きました。
中でも『Wildflower』は、私の半生が投影されているようで特別な思いがありました。
高校を卒業するまでの長い時間、子ども達は神経をすり減らし毎日を懸命に生きることで精いっぱいです。
私は全力でそれを支える、それしかできませんでした。
それぞれに好きな曲や本に励まされ時に奮い立たされて生きていた時期。
気力も体力も限界になって、ただ生きることだけでしのいだ時期。
そして再び目の前に道を見つけ、立ち上がりまた歩き出すのです。
若い時期、何を原動力に生きるかは人それぞれでしょう。
それがネガティブなものであれ何であれ、正面から向き合う努力は必ずいつか答えを導いてくれると信じます。
エゴが自分への愛と勘違いしてしまう人もいるかもしれません。
考えるべき時期にそれを放棄して、ただその時の快楽だけを原動力に生きていると晩年どういう人間が出来上がるか。
一時的に成功したように見えても、空しい結末に繋がっていることを教えられました。
私の〝怒りと家族への愛〟が原動力だった時期は少し前に終わりました。
自分を満たすことを知って、感謝する毎日は本当に素晴らしく幸せです。
これから私の人生の主軸は、自分の興味・関心を満たしてあげる事。
でも疲れて元気のない日だって私が良ければそれでいいんです。
ベランダから見える高く上がった月を眺めるだけで、こころは満たされていきます。
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