先月、スズメバチのせいで延期になっていた実家のジャングル伐採計画。
今月初めにやっと作業が入って無事終わりました。
下見から約2カ月。
立ち合いはムリなので、作業前と作業後の写真を送ってもらうことになっていました。
先日その様子を撮った写真を印刷したものが、請求書といっしょに郵送で届きました。
アイビーがはびこり、伸び放題だった雑木を見事に切り倒していただきましたが‥
伐採後の写真を見て、なんだか気持ちが晴れません。
生い茂った木々がなくなって、ポツンポツンと置かれた庭石と倒れかけた生垣。
一気に空家然として、かえって荒廃したように感じます。
アイビーが這った跡はとれないそうですね。
知ってはいました。
やっぱり気持ち悪い(笑)
大胆に電動のこぎりで刈り込んだだけの樹が、痛々しい感じです。
コンクリートの部分も腐葉土と化した葉っぱの残骸で汚れています。
下見のとき、密集した草木は確かに荒れ果てて見えました。
人の手が入らなくなった敷地に、植物が茂りさまざまな虫がうごめいてとても近づけませんでした。
ただそこには、ある種の生態系のような圧倒的な生命力が満ちていました。
それが脅威であり、ご近所への迷惑のタネになっていたことは容易に想像できます。
それを取り除くべく、作業をお願いしたのです。
そういう意味では満足しています。
ただ‥なぜか「よかった、スッキリした!」とは思えません。
椿を切られてしまって緑が一本もなくなったからでしょうか。
残念に違いありませんが、そうではありません。
それはそれでお盆明けに交渉するつもりです。
このネガティブな感じは、寂しさとある種の罪悪感と気づきました。
私の記憶の中の実家は緑に囲まれた母屋。
玄関や応接間の窓から見えた沙羅の樹。裏庭のハナミズキの樹。駐車場のモミジの樹‥
見積もりのときには「雑木」と括られたそれらの木々が、長年家と共にありました。
それらが無残に刈り取られ、片腕をもぎ取られたような母屋の姿が痛々しさを増幅させているのかも。
その母屋自体が今は役割を終えて、なすすべなくされるがままになっている‥
あの画をみた瞬間にそんなイメージが私の感情を揺さぶったようです。
これで得体のしれない「喜べない感情」の正体はわかりました。
もう大丈夫です。
記憶の中の実家はもうこの世にないけれど、それはこの作業をする前からなくなっていたのだから。
秋からは隣の店舗が新しく役割を得て、必要とされる方の役に立ちます。
母屋はまだ見守るだけだけれど、またいつか役割を担う日もあるかも。
そんなときがやってくるといいなと願うのでした。
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