調停が始まりました。
第1回、相手方は欠席で私とH弁護士だけが出席です。
調停が開かれるのは《東京家庭裁判所》。
あの霞が関にあるのです。
私は実母C子さんの成年後見人になるとき、家庭裁判所に行くことがありました。
実家の地域を管轄しているその家裁は、イメージ通りの地味な建物でした。
今回の場合は相手方の現住所を管轄する裁判所。
つまり私の前住所、東京23区を管轄する東京家庭裁判所になるのです。
この威圧感ハンパない建物の中に1人で入っていくには、私はあまりに弱っち過ぎます。
当日は相手方欠席ということで、私達だけとなります。
現地には直接行かれますか?
一度事務所まで来ていただいて一緒に向かうことも可能です。
答えは一択です。
というわけで、H弁護士の事務所に寄って時間通りに到着しました。
大きい入り口が2つに仕切られていて、H弁護士は右、私は左側の自動ドアを通過。
すぐ目の前に手荷物検査があり、大勢の係員が次々と訪れる来訪者の対応をしています。
空港のようにポケットの中身とカバンを預け金属探知機のゲートをくぐると、緊張でガチガチなポヨが出来上がりました。
待合室がいっぱいで廊下の長椅子に座って待つこと15分ほど。
名前を呼ばれていよいよ調停室に向かいます。
調停室は大きめの4人掛けのテーブルとイスが6脚ほどの会議室のような部屋でした。
調停委員は男女1名ずつです。
自己紹介の後、スマホはテーブルに置かず鞄に入れるよう言われました。
メモを取ることは可能ですが、スマホを見たいときは都度カバンから出すようにとのことです。
質問を想定してメモ機能に書いてきたことは、一旦カバンに㏌となりました。
事実関係の確認・質問、H弁護士の回答があり、今回相手方は仕事の都合で欠席、次回は出席すると知らされました。
私へも離婚を決意するに至った原因、子ども達がそれについてどう思っているのかを訊かれました。
具体的な数字などを正確に答える質問ではありません。
私はスマホを出さず膝の上で両手を握りしめながら、思いつくままに答えていました。
結婚当初発覚したサラ金の借金、競馬、財形貯蓄の使い込み、こども保険の使い込み、がん保険の勝手な解約、その他にもあった金銭トラブル。
「競馬や借金を続けるなら離婚する。止めるか離婚するか」と迫ったとき「止める」と言ったにもかかわらず、ずっと競馬を続けていること。
ものごとを勝手に決めて、私や子ども達の選択権などなく自論を押し付けること。
私や子ども達の言葉は全く届かず、子ども達にも関心を示さなかったこと。
私にとって4人家族でいることは最も大切で、家計や教育費を圧迫しない限り我慢しようと思っていたこと。
相手方が定年を前に不本意な形で退職、私はフルタイムで働きはじめ一緒に戦っているつもりだったが相手方にその想いは通じていなかったこと。
相手方が口にした「別居だな」という言葉がトリガーとなり、今まで押さえてきた思いがあふれて離婚を決意したこと。
子ども達は別居・離婚に賛成しており、むしろ背中を押してくれたこと。
今までよくやったよと労ってくれたこと。
子供たちは父親とつながりたい思いで、長年その年ごろなりの希望を持ち続けていたこと。
期待とは裏腹に、愛情のカケラを拾い集めるような日々を経て子ども達も父親の現実を認識し、今は断絶状態になっていること。
調停委員の方は、一度も遮ることなく黙って聞いていてくださいました。
H弁護士が「借金の返済に、申立人の預貯金を充てたこともあります」と付け加えて終わりました。
途中、子ども達の話をしているとき一瞬だけ感情が溢れそうになりました。
それ以外では冷静に、客観的に、淡々と。
もう何度も数えきれないほど反芻した内容は、コンパクトな文章となって調停委員の方にお伝え出来たと思います。
次回は来年、相手方はまだ弁護士も立てず「離婚はしない」の一点突破で譲らない姿勢のようです。
そうなることは予想できました。
だからこそ、H弁護士を選んだのです。
家裁を出て、H弁護士は事務所に戻られました。
私は張り詰めた気持ちがまだ抜けきらないまま、目の前の日比谷公園に足が向きました。
行きたい場所があるわけではありません。
このまま帰ることも、買い物などする気持ちにもならず、ただ歩いていました。
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